壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

山城へ

2010年11月17日 22時32分39秒 | Weblog
          途行吟
        山城へ井手の駕籠かるしぐれかな     芭 蕉

 謡曲の口調をおもかげにして、発想しているように思う。かつて芭蕉がしきりに試みた手法である。それが、旅心のはずみを生かす表現として、即興風に再びここに用いられているのである。

 「山城へ」は、山城(今の京都府の南部)を目ざして、の意。「へ」の働きは重要視したい。
 「井手(いで)」は、京都府綴喜(つづき)郡井手町。井手の玉川(玉水)と呼ばれ、山吹・蛙(河鹿)で名高い歌枕。奈良から京への街道筋に当たる。ここでは、「出(い)で」の意をこめるとともに、名高い「井手」への興に即して、「いで」と心ひきたてる感じをふくめていよう。
 謡曲「百万」に、
        あをによし奈良の都を立ちて、……山城に井手の里……
 などとある。
 あるいは、「井手の蛙(かわず)」を「井手の駕籠(かご)」と転ずるおかしみや、山吹・蛙の季節でないことを嘆ずる気持があったかも知れない。
 「かる」は、「借る」と「駆る」とを掛けていると解したい。

 季語は「しぐれ」で冬。「しぐれ」のあわただしさの本意を生かしたもの。「しぐれ」は「時雨」と書き、冬の初めごろ、晴れていたかと思うとさっと降り、たちまちあがってしまう雨。「しぐるる」と動詞にも使う。
 時雨のさだめない降り方に、古来、世の儚(はかな)さや空(むな)しさを託して詠まれた和歌は枚挙(まいきょ)にいとまがない。芭蕉は俳諧において、それをいっそう深めた。芭蕉の忌日(陰暦十月十二日)を「時雨忌(しぐれき)」という。

    「山城へ出でんとする途中で時雨に降られ、その名も名高い井手の里
     への駕籠を借りて、先を急がせたことである」


      藁屋根の時雨にひかる峠口     季 己