壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

早く帰ってね

2009年09月15日 17時47分22秒 | Weblog
       子 夜 呉 歌(しやごか)     李 白

    長安一片月    長安一片(ちょうあんいっぺん)の月
    萬戸𢭏衣声    万戸(ばんこ)衣を𢭏(う)つの声
    秋風吹不盡    秋風吹いて尽きず
    総是玉関情    総(す)べて是れ玉関(ぎょくかん)の情
    何日平胡虜    何(いず)れの日にか胡虜(こりょ)を平らげて
    良人罷遠征    良人(りょうじん)遠征を罷(や)めん

        長安の空には満月が一つ冴え冴えと出ている。
        その月光に照らされた町のあちらこちらの家々から、衣を打つ砧
       の音が聞こえてくる。
        秋風があとからあとから吹き止まない。
        月や砧や秋風などすべてが、遠い西方の玉門関に出征している夫
       を思う心をかきたてる。
        いつになったら、夷(えびす)どもをやっつけて、
        夫は、遠征をやめて帰ってくるのだろうか。

 この詩は、天宝二年(743)、李白(りはく)四十三歳の秋の作というのが通説のようだ。
 もともと「子夜歌」は、南方の民歌である。江南の明るい風土の中での、なまめかしい恋の歌、時にはそれが失恋の悲しみになることもあるが、甘美なムードがまつわる歌である。それを李白は、舞台を北方の都に移し、玉門関へ遠征する夫の留守をまもる女の歌に仕立てた。

 時は秋の夜。皎々たる満月(視覚)、哀切にひびく砧(きぬた)の音(聴覚)、吹き止まぬ秋風(触覚)と、あくまで寂しい道具立てだが、その底に、もとの「子夜歌」の持つ、なまめいたような、やるせない感情がひそんでいる。
 そのため息を表すのが、終わりの二句である。「いったい、いつになったら、あの憎い夷(えびす)どもをやっつけて帰ってらっしゃるの、早く帰ってね」と、纏綿(てんめん)たる情緒が、ここに流露する。
 前の四句で意は尽きたり、として二句を蛇足とする説があるが、それは李白の意図を知らないものだと思う。

 なお、日本の詩歌にも、砧をうたう同じ趣のものがある。いくつかあげてみる。
  みよし野の山の秋風小夜ふけてふるさと寒く衣打つなり     藤原雅経
  たがためにいかに打てばか唐衣ちたびやちたび声のうらむる   藤原基俊
  声澄みて北斗にひびくきぬたかな               松尾芭蕉
  砧打ちて我に聞かせよや坊が妻                松尾芭蕉
  どたばたは婆の砧と知られけり                小林一茶 


      湖と池のちがひを秋の夜     季 己