野に嬉し虫待宵の小行燈 重 頼
作者の重頼は、松永貞徳の門流であったが、のち貞徳の門流を離れて独自の俳諧活動をした人である。
『山の井』の、
「さればむしふくあらしの山のべのけしき。とぼしありくあんどうのかげに。
をぐらの里もたどたどしからぬありさま。又させもが露を命にてすだく
心ばへ。くれゆく秋をおしみなきするのべのあはれさ」
という文章は、この句を理解する上にはなはだ有益である。
この文章から、行燈(あんどん)を持ち歩いて、夜の野辺に虫を求める情景が想像されるが、この句はまさにそうした情景を描いているのである。
当時は「あんどう」と読むのが普通だったのであろう「行燈」とは、室内の照明具で、木などで枠を作り紙を貼ってその中に油火を燃やすようになっているが、もとは持ち歩いたものであろう。
この句で問題になるのは「虫待宵」だが、これを一般には、「虫待」と「待宵」が掛詞になっており、「待宵」を陰暦八月十四日の夜のこと、と説いている。
しかし、「待宵」という詞が、季語として定着するのはもっと後のことであり、この当時は、中秋の名月の前夜を指すには、「小望月」というのが普通だったのではないか。したがって、「虫待宵」は、「虫待」に「待宵」を言い掛けたものではないと思う。
「虫待宵」とは、「月待つよひの空なへだてそ」のように、歌に見える「月待宵」をもじった重頼の造語ではなかろうか。
「月待宵」ならば明かりはいらないわけで、「虫待宵」だから野の明かりが嬉しいというのである。
はなはだ知的な言語操作の上に成り立っている句で、作者のねらいは決して秋の夜の情趣を描き出すことにあったのではない、といえそうである。
季語は「虫待宵」で秋。
「虫の鳴き出すのを待って野原にいると、虫を求めてやってきた人の行燈
の明かりが見える。暗がりの中で、それが心強く嬉しく思われる」
寝返りを打てばこほろぎ喜びぬ 季 己
作者の重頼は、松永貞徳の門流であったが、のち貞徳の門流を離れて独自の俳諧活動をした人である。
『山の井』の、
「さればむしふくあらしの山のべのけしき。とぼしありくあんどうのかげに。
をぐらの里もたどたどしからぬありさま。又させもが露を命にてすだく
心ばへ。くれゆく秋をおしみなきするのべのあはれさ」
という文章は、この句を理解する上にはなはだ有益である。
この文章から、行燈(あんどん)を持ち歩いて、夜の野辺に虫を求める情景が想像されるが、この句はまさにそうした情景を描いているのである。
当時は「あんどう」と読むのが普通だったのであろう「行燈」とは、室内の照明具で、木などで枠を作り紙を貼ってその中に油火を燃やすようになっているが、もとは持ち歩いたものであろう。
この句で問題になるのは「虫待宵」だが、これを一般には、「虫待」と「待宵」が掛詞になっており、「待宵」を陰暦八月十四日の夜のこと、と説いている。
しかし、「待宵」という詞が、季語として定着するのはもっと後のことであり、この当時は、中秋の名月の前夜を指すには、「小望月」というのが普通だったのではないか。したがって、「虫待宵」は、「虫待」に「待宵」を言い掛けたものではないと思う。
「虫待宵」とは、「月待つよひの空なへだてそ」のように、歌に見える「月待宵」をもじった重頼の造語ではなかろうか。
「月待宵」ならば明かりはいらないわけで、「虫待宵」だから野の明かりが嬉しいというのである。
はなはだ知的な言語操作の上に成り立っている句で、作者のねらいは決して秋の夜の情趣を描き出すことにあったのではない、といえそうである。
季語は「虫待宵」で秋。
「虫の鳴き出すのを待って野原にいると、虫を求めてやってきた人の行燈
の明かりが見える。暗がりの中で、それが心強く嬉しく思われる」
寝返りを打てばこほろぎ喜びぬ 季 己