神 前
この松の実ばえせし代や神の秋 芭 蕉
鹿島神宮の神前の、極めて厳粛な感じを、はるかなる時間をさかのぼる思いの中で、つかみ取ろうとした句である。貞享四年(1687)、「鹿島紀行」での作。
「実ばえせし代」は、実生えしたばかりの時代ということで、遠い神代の意でいったもの。また、「実生(ば)え」は、「実生(みしょう)」のことで、種から芽を出して生長すること、またそうした植物をいう。
「神の秋」とは、厳かな神前の秋の様子をいったもの。
季語は「神の秋」で秋。ただし、当時は、季語は「秋」で雑の部に分類している。芭蕉自身は、「神の秋」でひとまとまりの季語として用いたのではなかろうか。
「鹿島神宮の神前にぬかずくと、うっそうたる松の大樹がそびえて、
静寂尊厳、極まりない秋の感じだ。この松が実生えしたばかりの、
はるかに遠い神代のころが、この秋気の中におのずと感じられる」
秋風やペンもてば気の新たなり 季 己
この松の実ばえせし代や神の秋 芭 蕉
鹿島神宮の神前の、極めて厳粛な感じを、はるかなる時間をさかのぼる思いの中で、つかみ取ろうとした句である。貞享四年(1687)、「鹿島紀行」での作。
「実ばえせし代」は、実生えしたばかりの時代ということで、遠い神代の意でいったもの。また、「実生(ば)え」は、「実生(みしょう)」のことで、種から芽を出して生長すること、またそうした植物をいう。
「神の秋」とは、厳かな神前の秋の様子をいったもの。
季語は「神の秋」で秋。ただし、当時は、季語は「秋」で雑の部に分類している。芭蕉自身は、「神の秋」でひとまとまりの季語として用いたのではなかろうか。
「鹿島神宮の神前にぬかずくと、うっそうたる松の大樹がそびえて、
静寂尊厳、極まりない秋の感じだ。この松が実生えしたばかりの、
はるかに遠い神代のころが、この秋気の中におのずと感じられる」
秋風やペンもてば気の新たなり 季 己