壺中日月

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「俳句は心敬」 (23)機知の妙味

2011年02月10日 20時29分00秒 | Weblog
 連歌は、和歌の上の句と下の句に相当する五・七・五の長句と、七・七の短句との唱和を基本とします。
 『万葉集』巻八の、大伴家持と尼との唱和をはじめ、古くはこの短歌合作の形、つまり、短連歌がもっぱら行なわれました。それが、院政期ごろから、多人数または単独で、長句・短句を交互に長く連ねる形、すなわち、長連歌(鎖連歌)に発達し、中世・近世にわたって流行したのです。

 このように連歌はもともと、当座の座興を中心にして発達したものです。だから、連歌に機知的なおもしろみを有する秀句が重んぜられたのは、和歌の場合より甚だしかったのは当然のことなのです。
 しかも、ここに心敬が、秀句の名歌としてあげてあるのは、みな新古今時代の歌人の歌です。
 機知の妙味が、言葉を生き生きと気のきいたリズムに仕立て上げ、それが同時に象徴的効果をも発揮しています。こういう表現法は、宮廷文化の貴重な遺産の一つでした。この方面においても心敬は、新古今から大いに学び取ろうとしたものと思われます。

 機知が言葉を操るおもしろさは、すでに二条良基時代の連歌において成功しております。
 「下紅葉ちりにまじはる宮ゐかな」は、圧縮された表現のうちに、そうした妙味をふくみ持ち、文字通り、秀句が句の生命をなしているのです。
 どちらかというと、知的な趣向を愛した心敬の作品には、こうした秀句を用いた歌をかなり多く見いだせます。彼の『芝草』の中から二、三、例をあげておきましょう。
        蓮葉は水よりこすのにほひ哉
        秋はいますゑつむ色の下葉かな
        水をさへ掬する花のながれかな


 つぎに表現法について、三大歌集の比較を簡単にまとめておきます。

        『万葉集』 (八世紀)
          ○素朴で飾り気がない
          ○感動をありのままに表現し、実感的
          ○直線的な表現
          ○力強く男性的(ますらをぶり)

        『古今和歌集』 (十世紀)
          ○飾り立てて優美
          ○技巧を用いて理知的
          ○想像的で屈折させて表現し、曲線的
          ○情趣的な美を重んじ、女性的(たをやめぶり)

        『新古今和歌集』 (十三世紀)
          ○閑寂で、しかも、あでやかな美をあらわす
          ○技巧に走り、実感から遠ざかって、難解な歌も多い
          ○余情を重んじ、現実生活から逃避して観念的、象徴的


      幸福の木に冬の日のとろとろと     季 己