壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

花に酔う

2009年04月18日 23時40分01秒 | Weblog
 東京の桜は終ったが、東北の桜は、これから見頃を迎える。
 悠然と流れる北上川。その河畔に、樹齢80年を超えるソメイヨシノの桜並木が、2kmにわたってつづく。
 その展勝地公園では、きょう4月18日から「北上展勝地さくらまつり」が始まり、5月5日まで開催される。
 293haもの広大な園内に、ソメイヨシノ・エドヒガンなど約150種ものさまざまな桜が、およそ1万本あるといわれる。

        天も花にゑへるか雲の乱足     立 圃

 「ゑへる」は「酔へる」の意。
 「天も花にゑへる」の出典は、『和漢朗詠集』で、巻上「三月三日」の条に「春ノ暮月、月ノ三朝、天花ニ酔ヘリ、桃李盛ナレバ也」とある。
 「雲の乱足」は、雲の乱れ動くさまで、雲行きのあやしいことをいう。もともとこの語は、『風雅集』に「野分だつ夕べの雲の足はやみ 時雨に似たる秋のむら雨」とあり、その雅語を雲の乱足と擬人化し、俗言に仕立てたところが面白い。
 花見時分は、とかく天候が不順であるが、それを敏感にとらえ、その雲行きのあやしいのを、天までが桜の花に酔って乱れ足になっているのかと、句作したのである。
 ところで、「天も」の「も」には、人々はむろんのことの意が、言外にあることを考慮する必要があろう。
 一句の中心は、もちろん、天が酔っぱらった面白さにあるのだが、それのみか爛漫たる桜の花や、その下で酒宴にうち興じる人々の様子までも、この句から感じとることが出来よう。

 立圃(りゅうほ)の句風は、「上京風にて、句作りやはらかに、俳言よはよはとして、仕立てうつくし」と評されるが、この句なども理屈っぽさをほとんど感じさせず、和歌的優美さを十分に備えている。
 また、貞門俳諧では、擬人化を用いた句は多いが、この句以外の立圃をあげれば
        春風に腕押しをするわらび哉
        月のかほふむは慮外ぞ雲の足
 などがある。


      山椒の花の呟き昼の月     季 己