壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

涙の北島選手

2008年08月11日 23時41分55秒 | Weblog
 北京オリンピック競泳の男子100メートル平泳ぎ決勝で、北島康介選手が完璧な泳ぎで、58秒91の世界新記録を樹立して金メダルを獲得、オリンピック2連覇を達成した。
 同じ区民として、心の底より「おめでとう」を言いたい。
 拙宅近くの、北島選手の実家「肉のきたじま」では、名物のメンチカツが無料でふるまわれ、近所の人ともどもその喜びを分かち合った。

 涙の北島選手をテレビで見て、ふと、「刻苦光明」という言葉を思い起こした。
 今から300年ほど前のことである。わが国の禅の高僧白隠(はくいん)も、19歳のころは、禅の修行の行き詰まりで悩んだ、といわれる。
 それは、ある禅寺での講座で、「中国、唐代の禅の名僧巌頭(がんとう)和尚は賊に斬殺され、その叫び声が遠くまで響いた」と聞き、「盗賊に殺されるようで、どうして地獄の底から逃れられるか。巌頭にして然り、おれに何が出来るか」と自信も他信も失ってしまう。
 それからというものは彼は、読経や座禅も遠ざけ、文学書や書画に自己をくらます日々を過ごした。

 白隠は、懊悩のまま旅に出た。
 翌年、琵琶湖の近くの瑞雲寺で、蔵書の風入れ(かざいれ=虫干し)を手伝っていたときのことである。
 彼は何を思ったか、書物の山に礼拝して、「わが師となる一冊の良書にめぐり合わさせたまえ」と念じ、眼を閉じて一冊の書を選び、無心に開いてみたのが、『禅関策進(ぜんかんさくしん)』という禅書の「引錐自刺章(錐でわが股を刺す)」の一節であった。
 彼は瞬きもせずに黙読した。
 それは、「慈明(じみょう)という青年求道者が、《刻苦光明必ず盛大(努力すれば必ず光明を得る)》との古人の言を信じ、わが股に錐を刺して、眠気と怠惰を戒めた」との逸話である。

 白隠は、自分を顧みて恥じた。
 「おれは自分の怠惰を棚上げして、小さな主観と経験だけで批判はするが、慈明ほど自分に厳しくしていない。いま自分だけでなく他をも苦しめているのは、わが怠惰と傲慢さからだった」
 と……。
 以後、彼は『禅関策進』を生涯の書とし、「刻苦光明」を座右の銘として、「策進(自分にむちうち進む)」を誓ったという。

 《股に錐を刺す》などと言ったら、人々は笑いとばすであろう。
 しかし、自分に甘えて何が出来るか。
 「最小の努力で最大の効果」をあげるのが、合理的善だとされる。
 けれども、人生にはいつの時代でも、近道や抜け道のない事実を今こそ思い知るべきではないか。
 「刻苦光明」は、現代人に最も必要な座右の銘ではなかろうか。
 北島選手の涙の裏には、人知れぬ「策進」があったに違いない。
 今後も静かに見守りたい。


      生き死にの 金魚すくひの子の袋     季 己