壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

薺摘み

2010年01月14日 22時47分54秒 | Weblog
        古畑や薺摘み行く男ども     芭 蕉

 若菜摘みにふさわしいのは、袖ふりはえる都人であろう。ところが、それとはうってかわった、風流気もない無骨な男たちが、さっさと摘んでゆくさまは、侘びしい風景であったに違いない。
 この古畑(ふるはた)の薺(なずな)摘む男の姿に、都の若菜摘みとはちがった鄙(ひな)びた俳諧の心を感じたものである。

 「古畑」は、春になってもまだ耕作されずにある畑のことで、そこに薺などが生えているのである。「古畑に」では句は死んでしまって、単に場所を指定したに過ぎなくなる。「古畑や」となって初めて、眼前にひろがるところの、去年のままに古びた畑が、単なる説明としてではなく生きてくるのである。
 「薺」は春の七草の一つ、これが季語で春(新年)。「薺摘み」が、優雅な都人ならぬ、むくつけき男によって行なわれているところを通して、新しく生かされている。

    「春になっても、去年の冬のまま荒れた古畑が見える。そこに生い出た薺を、都人ならぬ
     無骨な男たちが摘んでゆくことよ」


      寒椿あうんの静のつづきをり     季 己