連歌は何人かの人々が集まり、それぞれの作者が、前句(まえく)をその人なりに鑑賞し、付句(つけく)を創作するものです。
したがって、前句と付句の間には、作者の鑑賞と創作という、二つの働きが行なわれているわけで、句の上に現れていない、作者の心の中に秘められた付けようともいうべきものが、存在しているはずです。そのかくれた作者の心を責め取ることが大切なのです。
さて、ここでいう「中ごろ」とは、十四世紀末から十五世紀初頭をさします。
このころ、一句に趣向を尽くすことがはやって、一句の独立性は大いに高められるようになりました。けれどもその反面、連歌の命である「前句との関係に心を尽くす」という面が、おろそかになってきてしまいました。連歌はあくまで、前句との連関いかんによって、その価値が左右されるとの観点から、心敬は、そうした傾向に非難を加えているのです。
心敬の時代は、前句のことを考えず、それぞれ勝手な自己主張を展開していました。おのおのが派手な素材を好み、技巧の限りを尽くして付句をするのですが、前句の心は全く無視していました。その結果、連歌の技法のみが発達して、付合(つけあい)の心が無視されてしまったのです。
心敬は、前句をどのようにとりなすかが、連歌芸術の命に関わることを強調したかったのです。
「付句は、前句の人の心に通じ合うものがなければならない」というのが、心敬の考えです。だが、それは必ずしも「意味が通じる」ということだけではなく、内容的にも、言葉の上でも「響き合う」ものがなければならない、ということを意味していました。
心敬は、付句の創作にあたっても言葉を問題にせず、前句の内容をつかんで、そのうえで、それと深く気息を通ずる境地を提示すべきことを主張するのです。そして、その付合の呼吸を示すために、古人の秀句を例示しているのです。
この付合の心は、現代、「配合」とか「二句一章」とかいわれる句を作る際の〈バイブル〉といってもいいでしょう。
前句の心を受けることと並んで、前句の何を捨てるか、ということも大切です。心敬は、「つくるよりは捨つるは大事なり」と述べています。
「捨てどころ」という語がありますが、付句は、前句のすべてを受けてはならないのです。必ず前句の中にあるものを捨てて、新しい風情を付け加えねばならないのです。そうすることにより、前句から離れ、かえって前句の心を生かすことができるというのが、心敬の考えの中心なのです。
心敬は、付合においては意味でつながらず、心でつながるという、心の陰翳の深さを第一としたのです。
おもふとも別れし人は帰らばや
夕暮れ深し桜散る山 心 敬
心に別れがたい思いを言い残して帰っていった人、
真実ならば帰ることはなかろうに。
帰ろうとは思っても、花に別れてゆく人は帰ることができようか。
夕暮れは深く静まり寂しい、この桜散る山では……
前句は恋。その人を我としての付けで、自分ならとても帰ることはできないから、おそらく、その人も帰ることはできないだろうという気持です。
叙景の句でありながら、深い心を詠んだ、心敬らしい句です。
恋句としての華やかさが桜を導きだし、しかも、それを否定する「別れ」の寂しさが、「散る」と「夕暮れ」とに響き合っています。そして、「別れし人」への思いに深さを、夕暮れの寂しさが深いの意をこめて、「夕暮れ深し」の句が受けています。二句を心象風景としてつなげる、心敬の得意とするところです。
高翔ける白鳥の夢 冬いちご 季 己
したがって、前句と付句の間には、作者の鑑賞と創作という、二つの働きが行なわれているわけで、句の上に現れていない、作者の心の中に秘められた付けようともいうべきものが、存在しているはずです。そのかくれた作者の心を責め取ることが大切なのです。
さて、ここでいう「中ごろ」とは、十四世紀末から十五世紀初頭をさします。
このころ、一句に趣向を尽くすことがはやって、一句の独立性は大いに高められるようになりました。けれどもその反面、連歌の命である「前句との関係に心を尽くす」という面が、おろそかになってきてしまいました。連歌はあくまで、前句との連関いかんによって、その価値が左右されるとの観点から、心敬は、そうした傾向に非難を加えているのです。
心敬の時代は、前句のことを考えず、それぞれ勝手な自己主張を展開していました。おのおのが派手な素材を好み、技巧の限りを尽くして付句をするのですが、前句の心は全く無視していました。その結果、連歌の技法のみが発達して、付合(つけあい)の心が無視されてしまったのです。
心敬は、前句をどのようにとりなすかが、連歌芸術の命に関わることを強調したかったのです。
「付句は、前句の人の心に通じ合うものがなければならない」というのが、心敬の考えです。だが、それは必ずしも「意味が通じる」ということだけではなく、内容的にも、言葉の上でも「響き合う」ものがなければならない、ということを意味していました。
心敬は、付句の創作にあたっても言葉を問題にせず、前句の内容をつかんで、そのうえで、それと深く気息を通ずる境地を提示すべきことを主張するのです。そして、その付合の呼吸を示すために、古人の秀句を例示しているのです。
この付合の心は、現代、「配合」とか「二句一章」とかいわれる句を作る際の〈バイブル〉といってもいいでしょう。
前句の心を受けることと並んで、前句の何を捨てるか、ということも大切です。心敬は、「つくるよりは捨つるは大事なり」と述べています。
「捨てどころ」という語がありますが、付句は、前句のすべてを受けてはならないのです。必ず前句の中にあるものを捨てて、新しい風情を付け加えねばならないのです。そうすることにより、前句から離れ、かえって前句の心を生かすことができるというのが、心敬の考えの中心なのです。
心敬は、付合においては意味でつながらず、心でつながるという、心の陰翳の深さを第一としたのです。
おもふとも別れし人は帰らばや
夕暮れ深し桜散る山 心 敬
心に別れがたい思いを言い残して帰っていった人、
真実ならば帰ることはなかろうに。
帰ろうとは思っても、花に別れてゆく人は帰ることができようか。
夕暮れは深く静まり寂しい、この桜散る山では……
前句は恋。その人を我としての付けで、自分ならとても帰ることはできないから、おそらく、その人も帰ることはできないだろうという気持です。
叙景の句でありながら、深い心を詠んだ、心敬らしい句です。
恋句としての華やかさが桜を導きだし、しかも、それを否定する「別れ」の寂しさが、「散る」と「夕暮れ」とに響き合っています。そして、「別れし人」への思いに深さを、夕暮れの寂しさが深いの意をこめて、「夕暮れ深し」の句が受けています。二句を心象風景としてつなげる、心敬の得意とするところです。
高翔ける白鳥の夢 冬いちご 季 己