壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

雲の峰

2010年07月21日 22時59分39秒 | Weblog
        湖や暑さを惜しむ雲の峰     芭 蕉

 あらゆるものが涼味を帯びている中で、雲の峰だけが炎暑の名残をとどめているという「納涼」にふさわしい感じをとらえた作である。やはり挨拶の心をこめていよう。

 「暑さを惜しむ」は、過ぎゆく夏の暑さを惜しむ意にもとれるが、納涼の属目吟なので、一日の暑さをとどめていると解したい。
 「雲の峰」は、漢詩に「夏雲奇峰多し」(陶淵明)とあり、この影響を受けて作られたことばである、といわれている。学名は積乱雲で、強い日射のときの勢いのある上昇気流によって生ずる。積雲は高さ一万メートル前後に達すると、頂上が刷いたように崩れ、下面も雨脚のために不明瞭に暗む。積乱雲(夕立雲)に発展したのである。
 複雑な渦状の動きをしながら、むくむくとふくらんで行くさまを、その形から入道雲とも呼んでいる。また、その中に多量の電気を蓄積するので雷雲となり、さらに夕立雲にもなる。

 季語は「雲の峰」で夏。「雲の峰」を擬人化した発想である。

    「湖水に面したこの眺めは夕暮れに向かうにつれて、すべて涼味に満ちているが、
     彼方に立っている雲の峰だけが、なお灼けつづけ、あたかも過ぎゆく一日の暑さ
     を惜しむような感じがする」


 ――夏雲は皓(しろ)い。上昇気流の激しさをそのままに、頭のまるい、下部を切りそいだような積雲が、夏雲の代表であろう。それが、みるみる育って、塔のように、山塊のようにそそり立つ。気流のすさまじい渦の動きが手に取るように見える。これが雲の峰で、地名を冠して川のように、坂東太郎・丹波太郎・安達太郎・比古太郎・信濃太郎・石見太郎などと呼ばれることも以前はあった。

 それにしても今日の暑さのものすごさ。「暑さを惜しむ」などとは絶対に言えない。二階の変人の部屋は、窓を全開しておいても、昼前に38度を超え、午後2時過ぎにはついに40度に達した。今も33.5度ある。

      六十にして順わず雲の峰     季 己