飛入の力者あやしき角力かな 蕪 村
「あやしき」が、この句の眼目である。「人間業ではない」という村人の、ひたすらな驚歎ぶりがユーモラスに、しかも俗臭を帯びないで言い表されている。
しかも、この語はまた、「力者(りきしゃ)」が忽然(こつぜん)と出現したさまを伝えている。
村相撲は普通、かがり火を焚いて夜催す。そこへ文字通り「闇から現れた男」とでもいうように、不可思議な男が出現して絶技を振るうところに、村人にとっては、一種の気味悪さが覚えられるわけである。
季語は「角力(すもう)」で秋。「角力」は、夏場所をいう場合と、村相撲、草相撲をいう場合とがある。
「毎夜、村の若者が辻に集まって、角力を催している。近隣の者ばかり
なので、誰が強いかの相場もおおよそ定まっている。ところがある晩、
かつて見かけない若者が飛び入りで土俵に現れ、力自慢の連中を
片端から手玉にとって翻弄(ほんろう)した。どこの者だろう、どういう
素性の奴だろう、あまりに水際だった勝ちぶりに、村の連中はただ
あっけにとられている」
寺坂ののうぜんかづら奉加帳 季 己
「あやしき」が、この句の眼目である。「人間業ではない」という村人の、ひたすらな驚歎ぶりがユーモラスに、しかも俗臭を帯びないで言い表されている。
しかも、この語はまた、「力者(りきしゃ)」が忽然(こつぜん)と出現したさまを伝えている。
村相撲は普通、かがり火を焚いて夜催す。そこへ文字通り「闇から現れた男」とでもいうように、不可思議な男が出現して絶技を振るうところに、村人にとっては、一種の気味悪さが覚えられるわけである。
季語は「角力(すもう)」で秋。「角力」は、夏場所をいう場合と、村相撲、草相撲をいう場合とがある。
「毎夜、村の若者が辻に集まって、角力を催している。近隣の者ばかり
なので、誰が強いかの相場もおおよそ定まっている。ところがある晩、
かつて見かけない若者が飛び入りで土俵に現れ、力自慢の連中を
片端から手玉にとって翻弄(ほんろう)した。どこの者だろう、どういう
素性の奴だろう、あまりに水際だった勝ちぶりに、村の連中はただ
あっけにとられている」
寺坂ののうぜんかづら奉加帳 季 己