壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

古暦

2008年11月26日 20時56分16秒 | Weblog
 最近、地下鉄の車内でカレンダーを持つ人を、チラホラ見かけるようになった。
 これが、十二月の声を聞くようになると、来年の暦やカレンダーが、どっと出回るようになる。来年用の暦が出てくると。今年ずっと使用してきた暦は、「古暦」ということになる。したがって、古暦は冬の季語。
 江戸時代には、暦は右巻きの巻物であったので、「暦巻く」も季語である。巻収めが軸元になるので、これを「暦の果」という。ここには、一年の果てんとする感慨が込められている。
 
        闇の夜に終る暦の表紙かな     蕪 村
        一日もおろそかならず古暦      虚 子
        古暦水はくらきを流れけり      万太郎

 無事泰平に過ごしてきた人も、その日その日に追われていた人も、またたくうちに一年の暦を繰りつくして、月日の経つのは、早いものだということになる。まことに「一日もおろそかならず」の年末である。
 「暦」という言葉は、「日読(かよ)み」、つまり「日を数える」という意味だと、『広辞苑』に書いてある。

 変人宅では、母が愛用しているが、「日めくり」といって、一日一枚ずつをちぎってゆくカレンダーがある。中には金言・格言、英会話のフレーズ、数独など、頭の体操になる日めくりもある。
 一日一枚ずつちぎってゆく「日めくり」、これこそが正真正銘の「暦(日読み)」であろう。

 元来、人間は、人類の始まりから、日影の伸び縮み、月の満ち欠け、草木の栄枯などから季節の移り変わりを悟って、生活の切り目をつけていた。
 そのうち、特に天体の運行に一定の法則があることを知って、だんだんと正確な時の観念を持つようになり、長年の経験から将来を予言することも出来るようになってきた。

 人間が狩猟・牧畜の時代から、農作・漁労の時代に入ると、その民族が正確な暦を持っているかいないかは、直接、その民族の栄枯盛衰を左右することになったのである。
 古代の民族の中で、すぐれた暦を持った中国やエジプト・アラビア・ギリシャ・ローマなどの諸民族が、早くから文化の華を咲かせたのも、そういう訳があってのことであった。

 そういうわけで、暦というものは、しだいにその内容も科学的に進歩してきたことに相違ない。国家・民族などの社会生活において、また個人の日常生活においても、暦というものが、船における羅針盤のように、重要な役割を果たしていることは、昔も今も変わりはない。

        板壁や親の世からの古暦         一 茶
        親あるうち癒えむとおもふ暦果つ     蕪 城
        ゴヤの裸婦一枚残し暦果つ        蒼 水

 というような、暦もあり、さまざまな生活が見えてくる。


      たましひの余白少しく古暦     季 己