壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

せつかれて

2009年12月25日 19時25分05秒 | Weblog
        せつかれて年忘れする機嫌かな     芭 蕉

 これはおそらく芭蕉庵でのことであろう。「機嫌かな」には、門人たちにせつかれて、年忘れの仲間に入っている自分を、自ら眺めているような余裕ある姿が見られる。生活気分そのものが、発想契機となっている作である。『芭蕉句集』によれば、元禄五年(1692)の作とのこと。

 「せつかれて」は、しきりに催促されて、の意。
 「年忘れ」は、今の忘年会のことで冬季。「年忘れ」の気分に素直にひたっている使い方。

    「門人たちに、年忘れをしましょうとせつかれて、年忘れの仲間に入ると、
     いつの間にか、われながら機嫌のよい気分になってゆくことだ」


      点滴も楽しやシクラメン赤し     季 己