壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

焼野のきぎす

2009年02月23日 20時45分55秒 | Weblog
 “すぐろの”、漢字で“末黒野”と書く。美しい字面と韻きではないか。野が焼かれたあとのセピアブラック、あの目にしみる色である。
 すすき、ちがやの原が焼かれ、ひと雨通ったあとの印象は、まさに末黒野である。心にくい季語だと思う。

        松風や末黒野にある水溜り     欣 一

 末黒野は、焼跡が黒々としている野をいう。末黒は、末黒野から生い出る植物を指すことがある。
 また、野焼きをしたあとの春の野を“焼野(やけの)”という。野焼きは害虫を駆除する目的もあるが、草の灰が肥料にもなり、ひと雨くると末黒野にも草が萌え出す。

        月いよいよ大空わたる焼野かな     蛇 笏

 自分の身を忘れてわが子を救う、という母親の偉大な愛情を現わした言葉に、「焼野の雉(きぎす)、夜の鶴」というのがある。
 雉が繁殖期を迎えるころ、ちょうどそれは、害虫を駆除して、草木灰肥料にもする野焼きの行事と重なる。その野焼きの炎が身近に迫っても、卵を抱えた雉は、このことわざ通りに巣を離れずに卵を守っているのである。

 雉は、身体に巻きついた蛇をもバラバラに断ち切るほどに強い翼を持っているので、その飛ぶ速度はきわめて速いのだが、身体が重くて、それほど遠くへは飛べない。おいしい食肉となる雉は、もっぱら猟銃のよい標的にされるが、ケケーンとけたたましく鳴き声をあげてバタバタと飛び立つと、その着地するところをねらって撃つというのが、ハンターの常識であるという。
 「雉も鳴かずば撃たれまい」ということわざも、その雉の悲しい習性から出ているが、人間の世界にも、同じような悲劇があった。

 摂津の国、長柄の里の淀川にかけられた橋は、たびたびの洪水に、何度架け替えても流されてしまう。何とか丈夫な橋を、と人々が思案していると、神のお告げがあって、それには人柱を立てよとのことであった。
 さて、誰を人柱にするかということになると、なかなか結論が出ない。その時、長柄の里の長者、岩氏(いわじ)という人が、日を決めて、その日、長柄の渡し場を通りかかった者のうちで、綴じをつけた袴をはいた者を人柱にすればよい、と提案した。
 そして当日、その条件にかなって人柱となったのが、当の提案者の岩氏その人だったのである。

 この長者には、照日の前(てるひのまえ)という美しい娘があった。自ら覚悟しての父の死に、悲しみのあまり、その日から一言も口をきかなくなってしまった。
 その照日の前に同情して、嫁に迎えた河内の男がいたが、照日の前は、いっさい口をきかない。さすがの男も愛想をつかして、妻を長柄の里へ送り帰すこととした。その途中に通りかかった禁野(しめの)で、一羽の雉がけたたましく鳴いた。男はすかさず矢を放ち雉を射落とした。
 それを見た照日の前は、すぐさま、
        物言はじ 父は長柄の 人柱
          雉も鳴かずば 射(う)たれざらまし
 と、一首の和歌を詠み上げた。
 照日の前の心中深い悲しみを知った男は、わが身を恥じ、あらためて妻を連れ帰り、生涯大切に連れ添ったということである。


      すぐろ野を越え来し鐘の音にほふ     季 己