琵琶行の夜や三味線の音霰 芭 蕉
大垣の近藤如行の家に宿ったときの吟で、座頭(剃髪の盲人)を呼んで三味線を弾かせ、旅のつれづれを慰めたものと思われる。
『後の旅』には、この夜の雰囲気がよく伝えられている。すなわち、
「死よ死なぬ浮身の果は秋の暮」
について記したあとにつづけて、
「霜寒き旅寝に蚊屋をきせ申し 如行」
という句を出し、
「翁をはじめてやどしける夜ふと申し出でければ」
として、
「古人かやうのよるの木がらし 芭蕉」
の脇を置き、
「かく有りて興じ給ひぬ」
としたあとに、
「そののち座頭など来て、貧家のつれづれを紛らしければ
をかしがりて」
とあって、「琵琶行」の句が出ている。
「琵琶行」は、白楽天が江南讁居中、長江のほとりで、船中、琵琶を弾ずるのを聞いて、その感懐を述べた「琵琶行」の詩。
「三味線の音霰」は、三味線の音が霰のように感じられるの意であるが、実際に霰が降っていてその音が三味線にまじって聞こえたのかも知れない。琵琶に対して三味線は俳諧的なのである。
「霰」が季語で冬。
「三味線の音の霰のような調子が、折からの霰の音にまじって、ひとしお
あわれ深い。こうしてこの三味線の音を聞いていると、白楽天が旅愁と
どめがたかったあの琵琶行の夜のような感じが胸に湧くことである」
点滴のしづくぽつりと木菟(づく)啼けよ 季 己
大垣の近藤如行の家に宿ったときの吟で、座頭(剃髪の盲人)を呼んで三味線を弾かせ、旅のつれづれを慰めたものと思われる。
『後の旅』には、この夜の雰囲気がよく伝えられている。すなわち、
「死よ死なぬ浮身の果は秋の暮」
について記したあとにつづけて、
「霜寒き旅寝に蚊屋をきせ申し 如行」
という句を出し、
「翁をはじめてやどしける夜ふと申し出でければ」
として、
「古人かやうのよるの木がらし 芭蕉」
の脇を置き、
「かく有りて興じ給ひぬ」
としたあとに、
「そののち座頭など来て、貧家のつれづれを紛らしければ
をかしがりて」
とあって、「琵琶行」の句が出ている。
「琵琶行」は、白楽天が江南讁居中、長江のほとりで、船中、琵琶を弾ずるのを聞いて、その感懐を述べた「琵琶行」の詩。
「三味線の音霰」は、三味線の音が霰のように感じられるの意であるが、実際に霰が降っていてその音が三味線にまじって聞こえたのかも知れない。琵琶に対して三味線は俳諧的なのである。
「霰」が季語で冬。
「三味線の音の霰のような調子が、折からの霰の音にまじって、ひとしお
あわれ深い。こうしてこの三味線の音を聞いていると、白楽天が旅愁と
どめがたかったあの琵琶行の夜のような感じが胸に湧くことである」
点滴のしづくぽつりと木菟(づく)啼けよ 季 己