猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

私の「三丁目の夕日」④ 50年後の夕日

2007年12月08日 | Weblog
昭和35年当時、50年後に携帯電話やメールの出現を誰が予想したのであろうか?
今後の50年後を予測すると、今の常識や科学技術では考えられないようなことが起こってくると思う。

50年~60年前の少年雑誌にあった未来予測では、確か空中都市や宇宙戦争などが書かれていたが、まったく予測は外れている。
それよりも生活に密着した、インターネットやメールそして携帯電話など誰も予測もしなかったことが現れている。

今後の50年先はどうなっているのであろうか?
全体の流れとしては、これまでの50年が科学技術の発達(産業革命のようなもの)が主であったが、今後の50年は人間復興というか新ルネッサンスが興ると思う。
環境破壊や犯罪の多発化を見ていると、これからは全てが宇宙の自然と調和せざるを得なくなってくるはずである。
地球を元の姿に戻すための50年になると思う。

近代化が進んだ国の人口は減ってきているが、これは元の自然の地球の姿に戻りつつあるという現象だと思う。
具体的には「三丁目の夕日」にあるような姿が戻ってくると思っている。

そして、人類の指針となる哲学は「仏教」が主流となっているかもしれない。

私の「三丁目の夕日」③

2007年12月08日 | Weblog
「三丁目の夕日」の時代は、子供たちが結構忙しかったように思える。

おもちゃが欲しかったら、自分で作って遊んだし、風呂焚きや買い物などの家の用事が一杯あったのだ。

何処のうちでもそうだったが、家の用事がたくさんあったので、遊ぶ時間も限られていたように思う。
それに、お小遣いももらえなかったので、子供ながらにいろいろ工夫しながら遊んでいた。

移動手段は歩くかせいぜい自転車なので、チョット離れた場所に遊びに行くと数時間掛かってしまう。
夜でも、電気の明かりは暗いし子供は早く寝かされたので、遊ぶ時間は限られていた。

子供たちは限られた時間の中で、家の用事や遊びに一生懸命であった。
今の時代の子供に比べたら、相当濃密な社会勉強をしていたのではないだろうか?
だから世の中も比較的健全で想像力のある子供たちが育っていたと思う。

「可愛い子には旅をさせ」というのは本当だ。
大人が自らをもっと厳しく見つめていれば、子供は立派に育つはずである。
そして、今の時代にあったやり方が見つかるはずだ。