「三丁目の夕日」ではないが、50年前はメールも携帯電話もなかった時代なのに、子供の頃はとても楽しかった。
とにかく戦後の日本は何もなかった。
電話を持っている家は少なかったので、「呼び出し電話」(円歌の落語で有名)といって、急な用事があるときはご近所に電話を掛けて呼び出してもらっていた。
クルマでも、まさか自家用車を持って、しかも自分が運転するなんて夢にも考えていなかった。そうそう、当時のクラウンは黒で確か観音扉だった。
テレビでもそうだ。
家でカラーテレビが見れる時代が来るなんて、夢の夢でまったく考えていなかった。
そういう時代だから、空想力とか夢は物凄く持っていたのである。
だから、楽しかったのではないかと思う。
少年雑誌に小松崎茂の船や飛行機の鳥瞰図を見ては、いろいろな空想をしていた。
僕はラジオから音楽や落語や浪曲が流れてくるのが不思議でたまらなかった。
中学から高校時代に掛けては、自転車でパーツ屋さんに行って部品を買って、5級スパーラジオを作ったものだ。
文化放送とかラジオ東京から流れてくる志ん生や可楽の落語を聴いて、夢の世界に浸っていた。
子供も大人も、ものがないなりに夢はたくさん持っていたのだ。
楽しかったはずだ。
とにかく戦後の日本は何もなかった。
電話を持っている家は少なかったので、「呼び出し電話」(円歌の落語で有名)といって、急な用事があるときはご近所に電話を掛けて呼び出してもらっていた。
クルマでも、まさか自家用車を持って、しかも自分が運転するなんて夢にも考えていなかった。そうそう、当時のクラウンは黒で確か観音扉だった。
テレビでもそうだ。
家でカラーテレビが見れる時代が来るなんて、夢の夢でまったく考えていなかった。
そういう時代だから、空想力とか夢は物凄く持っていたのである。
だから、楽しかったのではないかと思う。
少年雑誌に小松崎茂の船や飛行機の鳥瞰図を見ては、いろいろな空想をしていた。
僕はラジオから音楽や落語や浪曲が流れてくるのが不思議でたまらなかった。
中学から高校時代に掛けては、自転車でパーツ屋さんに行って部品を買って、5級スパーラジオを作ったものだ。
文化放送とかラジオ東京から流れてくる志ん生や可楽の落語を聴いて、夢の世界に浸っていた。
子供も大人も、ものがないなりに夢はたくさん持っていたのだ。
楽しかったはずだ。