
(よみ)
①穆穆たる文王、於(ああ)、緝煕(しゅうき)敬止す
②諄諄翕翕として徐に人と与に言う者は、衆を失うなり。
③譲は懿行(いこう)なり。過ぐれば足恭と為り、曲謹(きょくきん)と為り、多くは機心(きしん)を出だす。
④数罟、洿池(おち)に入らざれば、魚鼈(ぎょべつ)勝(あ)げて食ふ可からざるなり。斧斤(ふきん)時を以て山林に入らば、材木勝(あ)げて用ふ可からざるなり。(注)洿池(おち):ため池のこと。1級対象外。
⑤紀元前546年、晋と楚の間で、弭兵の会が行われた。一種の和平調停の事である。この時期は、斉の晏嬰・鄭の子産などの、後に名宰相と呼ばれる政治家や、老子や孔子などの諸子百家の活動が活発になる時期である。
(かき)
①はんぶの論語
②のっけから負け続ける
③との如し (注)大勢の人が集まって垣根を巡らしたように立ち並ぶ、見物人が多いことのたとえ。
④との如し (注)道路の表面がすべすべして鏡のように滑らかなさま。
⑤「聖人は、百世の師なり、伯夷(はくい)、柳下恵(りゅうかけい)は是なり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫(がんぷ)も廉(れん)に、だふも志を立てる有り。 柳下恵の風を聞く者は、薄夫(はくふ)も敦(あつ)く、ひふも寛なり。
回答・解説はこのあとすぐ(^^)


<回答・解説>
よみ問題
①(ぼくぼく):<詩経>穆穆:徳が高いさま。奥ゆかしくて立派なさま。緝煕:光り輝き続けているさま。徳が広く知れ渡ることのたとえ。穆:ボク、モク、やわ(らぐ) 熟語:「郁穆(イクボク)」、「穆清(ボクセイ)」、「穆然(ボクゼン)」、「和穆(ワボク)」、「諧穆(カイボク)」、「昭穆倫序 (しょうぼくりんじょ) 」、「清穆(セイボク)」
②(きゅうきゅう) :くどくど物をいうこと。しつこいさま。翕:キュウ、お(こる)、さか(ん)、あつ(める)、あつ(まる)、と(じる) 熟語:「翕如(キュウジョ)」、「翕然(キュウゼン)」(訳)部下に向ってクドクドと話したり、 媚びるような話し方をするのは、 部下からの人望を失っている証拠である
③(すうきょう)<菜根譚の一節> 論語に「巧言、令色、足恭(すうきょう)、左丘明、之を恥ず」とある。 懿行:徳行。美しい立派な行為。足恭(すうきょう):丁寧すぎること。うやうやしさの度が過ぎること。曲謹(きょくきん):細かく気配りしてつつしむこと。堅苦しいこと。(参考)四字熟語「小廉曲謹」:つまらない潔さを間違っておこなうこと。機心(きしん):いつわりたくらむ心。機をみて動く心。
④(さくこ):目の細かい網のこと。数:小学レベル:スウ、かず、かぞ(える) 高校レベル:ス 準1レベル:サク、シュ、ソク、しばしば 罟:コ、あみ、うおあみ
(訳)細かい網を以てして沼池の魚を取ることが無ければ、将来のために稚魚は残され、魚が尽きることはありません。 材木を伐るに時節を守れば、萌芽を傷なうことが避けられ、材木に困ることはありません。
⑤(びへい):弭兵:戦争をやめること。休戦・停戦。「弭兵の会」「弭兵を協定する」。 弭:ビ、ミ、ゆはず、や(める) 弭息(びそく):とどまる、とどまって休む 弭巻(はずまき) 弭(ゆはず)
かき問題
①(半部)「半部の論語」は宋の趙普の故事。太宗との問答で「半部の論語で太祖の功業を助け、いまは半部の論語で陛下の治世を助けております。論語は天下を太平にするに足るものです」と答えたもの。「治世の要は、半部の論語、出世の要は、一巻の南華(なんが・なんか)あり。」(参考)「南華」は荘子のことで「南華経」と称す。老荘の学は無為自然で人世を超越する故に出世の要という。出世は現代にいう昇進などで位を得る類ではなく、その字句の通り、本当に世を超越し飛び出るほどの人をいう。本問とは関係ありませんが、「南華の悔い」という別の面白い故事成語あり。「南柯の夢」と混同・混乱しないように・・・。「南華の悔い」「南柯の夢」の故事の内容は、ご参考まで、かき問題⑤の回答・解説の後に掲載・紹介。
②(仰) :ノケの促音化。仰:中学レベル:ギョウ、コウ、あお(ぐ) 高校レベル:おお(せ) 1級レベル:の(く)、あおの(く)
③(堵)
④(砥)
⑤(懦夫)(鄙夫) (訳)聖人は百世の師である。たとえば伯夷、柳下恵などは聖人と呼べる人物であろう。故に伯夷の風を聞けば、頑強なる者は清廉となり、惰弱なる者は志を存して独立の気象を有するようになり、柳下恵の風を聞けば、軽薄なる者は敦厚となり、根性の卑しき者は寛大となるのである。
<参考>
「南華の悔い」:上司の怒りを買う発言をしたために、才能があるにもかかわらず出世の道が断たれることの悔い。「南華(なんか)」は、『南華真経(なんかしんきょう)』の略で『荘子』の別名。中国唐の詩人温庭筠(おんていいいん)が宰相(さいしょう)の令狐綯(れいことう)に昔の出来事を質問され、そのことは『南華真経』という書物に出ていますから、お暇なときにご自分でお調べください、と答えたために怒りを買い、才能があったにもかかわらず、最後まで科挙に合格することができなかったという故事。
「南柯の夢(「槐安の夢」ともいう。)」・はかないことのたとえ。「南柯(なんか)」は、南に伸びた枝。唐の淳于棼(じゅんうふん)が酒に酔って庭の槐(えんじゅ)の木の下で眠って夢を見た。夢の中で淳于棼は大槐安(だいかいあん)国の王に迎えられ、南柯郡の長官に任じられた。郡内がよく治まり、国王の娘と結婚し、栄華を極めた。やがて、敵国の侵略や愛妻の急逝で意気消沈していると、これを見た国王が帰国をすすめ、それに従って帰国したところで夢から覚めた。槐の木の下を見ると、2つの穴があり、1つには大蟻(おおあり)が王として住み、もう1つは南柯郡を思わせるように、南に向かって伸びた枝に通じていたという故事。
ではでは。
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