人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

4年前の出来事

2020年09月22日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

書類を整理していると、4年前の豊岡病院の資料が出てきた。資料を見てみると、当時の9月頃は、兵庫医科大学病院から「手術をするにしても、しないにしても抗がん剤治療を3クルーしましょう」と言う事で、お願いをして豊岡病院の呼吸器内科に資料を送ってもらい、地元の豊岡病院での抗がん剤治療が始まった月であった。生まれて初めての体験で、辛い治療とは聞いていて、ドキドキそわそわしながら、治療を受けた事を思い出した。

看護師さんからも「伊藤さんは、抗がん剤に強い人ですね」と言われ嬉しいやら悲しいやら複雑な心境であったが、どう治療を受けなければならないなら、やはり副作用は少ない方がありがたい。結局、翌々日の朝に数本の髪の毛が、枕に付着していたが、その後は抜ける事も無く、吐き気も無く、少し便秘ぎみになった程度で、普段と変わりなく入院する事が出来た。

色々な噂話を聞いていたので、さぞかしや辛い闘病生活になるのかと心配したが、中には私の様な無症状の人も、希ではあるが居るらしい。どうやら私は稀な人らしい。

その後も何度も抗がん剤治療を受けたが、相変わらず元気に過ごす事が出来た。

このお陰で、ガン細胞が小さくなり、手術が執り行われる事になった。こうして、元気に過ごせるのも、当時の抗がん剤治療のお陰と感謝している。

結局、術後の翌年も6クルーの抗がん剤治療が予定されていたが、腎臓の数値が悪化して、透析を受ける必要が出てきたために、最終回を1回残して、5回で終了となった。通常の副作用は皆無であったが、腎臓に負担が掛かってしまったとは・・・・

そんな9月を過ごし、その年の11月に手術を執刀していただいた事を思い出した。遠い昔のように感じるが、最後の抗がん剤治療から、まだ3年4か月しか経っていない事に気が付いた。

後遺症は残っているが、「あの当時の2年間は、いったい何だったのだろう」と思う今日この頃。元気一杯である。

妻の実家のお墓も整理して、私の墓地の縁石工事も完了して、悩み事も解決した。残すは義母と私の余命の終わりを待つだけだ。「おっと、これは義母に失礼か」義母も弱ってきているのは良くわかるが、毎日新聞を隅から隅まで読み、テレビも楽しそうに見ているので、認知症の疑いも無く安心であるが、88歳となっているので、家を空ける事は出来ない。「まぁ、これも私の人生か」と満足しているが・・・・

今、地元の豊岡市で「豊岡演劇祭」各地で行われている。お陰様で、多くのスタッフやボランティアの方の弁当の注文を弊社に依頼されていて、こんな私でも毎日忙しく応援している。ありがたい事である。

最近は、いよいよ季節の変わり目を感じます。朝晩めっきり涼しくなってきましたので、風邪など引かない様に気を付けて下さいね

では又ね

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