人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

ブログを始めて一年 (3)

2018年06月04日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

闘病期間は2年半、その間に手術は4回、抗がん剤治療は7クルー、入退院は12回を数えた。一番辛かったのは、先にも書いたが2回目の手術と4回目の手術だ。

2回目の手術は、膀胱、前立腺、精嚢、尿道の全摘出手術と膀胱の代わりになる腸を切り取っての尿路変更の手術で、約10時間の手術時間を要した。

4回目の手術は、悪性胸膜中皮腫の手術で、肺を覆っている膜をはぎ取る手術で、これも約11時間を要した。

どちらも大変大きな手術となったが、辛さに順番を付けるとすると、やはり2番目、4番目、3番目、1番目の順番になる。

2番目の手術は、豊岡病院の泌尿器科でも、最大級の手術であったと看護師から伝え聞いた。手術中は、もちろん全身麻酔で意識は無い。痛くもかゆくもなく、長時間の手術の為に進行状況によって、麻酔薬がその都度追加で打たれる。

やはり辛かったのは、麻酔が切れてからの術後一週間である。腸を20センチから30センチほど切り取っているので、飲食が出来ない。特に40度を越える高熱が続き、喉の渇きによる幻覚症状に悩まされた。点滴は受けてはいるものの、全身が干からびた状態だ。

この時の手術では、辛さの為に「死にたい」との思いもよぎったが、一方では、この病の手術で死ぬ事は無いとは思っていた。

誰かに代わってもらえない孤独感と閉塞感、高熱による幻覚症状、回復するのかどうかの不安感や恐怖感。など例えようの無い苦悩であった。平穏を装う精神力も限界を超えていた。

その時に思った事は、当時、過去60年間の中で一番辛かった事を思い出し、「あの時より今の方がましだ」と思う事によって、気力を振り絞った。おそらく今後は、もし辛い事が起きた時は、この手術を思い出して、「あの時よりは今はましだ」と思うだろう。これが私の苦難の乗り越え方だ。

しかし、あの孤独感と閉塞感は、例えようの無い恐怖であった。とにかく逃げ場所がない。子の辛さは私の精神的限界を遥かに上回る苦悩であった。頼れるのは主治医と看護師の皆さんだけだ。

多くのお見舞いの方に激励を受けたが、失礼ながら腹が立った。医者でもない貴方に「何が分かる。」と。「頑張れ」「大丈夫だ」の言葉には、本当に腹立たしく思えた。

よく誰々の活躍を見て、誰々の本を読んで、誰々のブログを見てなど、「私も刺激を受けて感動した。」などの事を見聞きするが、それらは言い方は悪いが、そこまでのどん底に至っていないからだ。本当にどん底になると、やはり励ましより「寄り添い」と「いたわり」だ。

高年齢の独居老人が増えていると言う。この孤独感と閉塞感、そして近々訪れるであろう死の恐怖。こんな中での日々の生活を思う時、これからの社会はどうなって行くのだろうかと先を案じる。

幸い私は、車で30分の範囲に子供や孫、兄弟や甥、姪が住居していて、約30人と良好な関係で仲良く付き合っていてくれている。ありがたい事と感謝している。歌の文句じゃないが「どうして東京がいいんだろ」と人生100年時代と言われているが、そうなると65歳以上の高齢者の余生は35年間もある。「東京の水は、そんなに甘い」のだろうか。「老後は子供に迷惑を掛けたくない」と言う親が居る。子供に迷惑を掛けない代わりに、隣近所や地域の関係機関に迷惑が掛かる事は構わないのだろうか年々市町県民税が値上がりして、若いサラリーマンの人の手取り収入は減少している。なんて事を時々思う今日この頃である。

好き勝手な事を書きましたが、どうぞお許しください。闘病生活を経験しての私の個人的な思いです。

では又ね

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