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愛知の街道を行く シリーズ1「池鯉鮒宿」-1-

2024-05-26 07:25:51 | 取材・旅行

2024年5月25日(土)、栄中日文化センター主催、「愛知の街道を行く シリーズ1」(2024年1~6月)「池鯉鮒宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、5回にわたって紹介します。

街道シリーズは宮宿、鳴海宿、有松宿に続いての4回目です。宮宿については 「宮宿」-1- を、鳴海宿については 「鳴海宿」-1-、有松宿については「有松宿」-1- ご覧ください。

今回の東海道です。

0が知立駅、1が池鯉鮒宿周辺、2が知立神社、3が慈眼寺・松並木、4来迎寺、5御鍬神社・無量壽寺・新安城駅 

毎週利用している知立駅。今日はここから歩きます。

知立の案内図です。

知立は、西に刈谷、北に豊田、東に安城に囲まれた小さな市です。

しかし、見所はたっぷりです。

ご当地マンホールはやはりかきつばた。

現在、花しょうぶ祭が開かれています。

市の花のプレート

1の池鯉鮒宿周辺をアップしてみます。

池鯉鮒宿の本陣跡の説明です。

文字起こししてみます。


池鯉鮒宿本陣跡
本陣とは、江戸時代の宿駅に設けられた、大名や幕府役人、公家等が宿泊する公認の宿舎である。
東海道三十九番目の宿駅である池鯉鮒宿には、本陣・脇本陣(本陣だけで対応できない時の予備の宿)が各一軒置かれていた。本陣職は、当初峯家が勤めていたが(杉屋本陣)、没落したため、寛文年(一六六二)からは永田家によって引き継がれた(永田本陣)。敷地三千坪、建坪三百坪と広大な面積を有していた。

明治となり宿駅制度が廃止され、二百年近く続いた本陣も、明治八年(一八七五)に取り壊された。
知立市教育委員会


時代の変化とともにその使命を終え、今では碑が残っているだけです。

動画です。

東海道 知立(池鯉鮒)宿 跡地(歴史の跡地シリーズ6)

刈谷道の交差点です。東海道から刈谷城まで伸びており、刈谷街道とも言われます。

北東を進むと、東海道につながります。

南西は、刈谷城に向かいます。

道標です。新しいですね。

知立古城です。

知立神社の神官永見氏の居城で、桶狭間合戦後に落城しました。のち、刈谷城主水野忠重が、この土地にお屋敷を建てました。

江戸時代はじめは、将軍上洛用の旅舎として使われましたが、元禄期の地震で倒壊したのちは、再建されませんでした。

 

知立古城址前に江戸時代前期の絵図の看板が建っています。よく書かれています。

この絵図は三井美術館所蔵の大日本五道中図屏風(の一部分)です。

詳細は、次に解説されていますのでご覧ください。

https://kaidou.nagoya/chiryucity/entry67.html

将軍上洛用の旅舎の跡の碑です。

動画です。

東海道案内図もありました。

「江戸時代前半の池鯉鮒宿の町並み(西側)」の説明板です。

拡大するので,下の古図を参照してお読みください。

現代の図です。

説明板右下の説明です。「東海道池鯉鮒宿宿並図」

出典 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/447490

明日に続きます。

「池鯉鮒宿」-1- -2- -3- -4- -5-


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