@じゃんだらりん

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凌霜隊と鶴ヶ城/著・片平幸三

2005-06-08 | 【読書】歴史
幕末・戊辰時の小説を読み漁っていく内に、東軍(会津藩を初めとする奥羽の諸藩)びいきとなった自分。

自分の性格はマイナー志向で、世間一般的に人に知られていない事跡に興味がある。。幕末の物語の中で知った「二本松少年隊」が、現在の一の贔屓なら、2番目は「凌霜隊」である。

会津若松を訪ねたときに、地元の本屋で買った小説を読んで、初めて岐阜県の郡上八幡から会津藩救援ため派遣された部隊であることを知り、隣県なので行って見ることにしたのだが、これが地元というのに盛り上がりは今ひとつ、という感じなのだ。

派遣されたといっても、郡上城下で水杯を交わして遠路はるばる東北へ・・・ではなく、江戸屋敷にいた藩士たちで編制されたもの。

さらにこの時の群上藩は、地元は西軍について江戸屋敷の藩士が東軍につく、と二股をかけていて「江戸の勝手は知らぬ存ぜぬ」と説明してたろうから、地元でなじみがイマイチ薄いのは仕方がないのか。(書籍も会津の方が多く販売されているくらい)

この隊の隊長が「朝比奈 茂吉」という人で当時17歳。他の隊員は成人ばかりでなんでかと思ったら、彼は江戸家老の長男。

この事情にも「江戸家老本人が率いては西軍に言い訳できない」、という考えがあったろう。

この本のエピソードで一番好きなのは、彼らが栃木県の塩原温泉で戦っていたときに近隣の住居を焼き払え(いわゆる焦土戦術)の命令に従わず、家屋を解体して、すぐに組めるようにし、家財道具を避難させるの手伝って撤退したという話。

戦争は地元民にとって迷惑この上なかったろうが、ちゃんと復興支援活動をしていたのだ。

結局敗北したあと、朝比奈隊長以下生き残りの人たちは不遇の人生を送ったようだ。

もし勝ち組みに属していたら郷土の英雄だったろうに、逆に「賊軍」と呼ばれて地元に居づらくなり、故郷を離れた隊員が多っかったらしい。

実は群上の資料館を訪ねたときに、係の婦人にこの話をしたら「私は隊員の子孫です」と言われびっくりした。

「ぜひ図書館を訪ねてください。資料を出しておきます。」と言われたのに寄らずに帰ってしまった。

あの婦人に悪いことしたなあ、あの時詳しく聞いておけば良かった。(と、この文章書いていて思い出した。)


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2 コメント

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初めまして (クワタ)
2008-05-29 12:44:09
初めまして
古い日記へのコメントですが(汗

私はいつか岐阜県郡上郡八幡町に尋ねなくてはならないと感じております。
(今は郡上市ですが)
というのも、私自身が隊員の子孫だからです。
どの隊員の子孫かは、私のハンドルネームから推測してくださいw

ちなみに、郡上市どころか岐阜県にすら親戚は一人もおりません。
日韓併合後に朝鮮に移り住んだからです。
戦後、皆内地に戻ってきましたが、岐阜県には誰も戻っていません。

私自身、千葉県在住ですが、未だに本籍地は岐阜県郡上市です
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初めまして。コメント有難うございます (じゃんだらりん)
2008-05-29 18:51:43
隊員の子孫という方からのコメントを頂き恐縮です。

文献から察するに、「賊軍」とか「朝敵」と呼ばれることの当事者の重みは、現在からは想像つかないものだったんでしょうね。
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