タンポポの花(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人やもの、はたまた神様や仏様にすがること、あやかることは、
とても大切なことです。
人間一人でできることは限られていますし、得手不得手もあります。
あるいは、心の依り所があることで、なんとか生き抜いていける局面も、人生にはあるからです。
それでは、「すがったりあやかればなんでもいいのか」と言えば、私はそうでもない気がるのです。
「ないものねだり」という言葉には、実は2つの意味があるのではないでしょうか。
ひとつは、「自分が持ってもいないものを欲しがる」という、一般にもよく言われている使い方です。
しかし、私が思うに、「ないものねだり」にはもうひとつ、「自分が持っていないものを人に求めるか、背負わせる」という意味もあるのではないか、という考えがあるんですね。
自分が苦手だったり、持っていないからといい理由で、それを人に求める。
これ自体は、よくあることかもしれません。
たとえば、
・自分の不得意な分野、手の回らないことを、人にやってもらう。
・容姿がまだまだの人が、ルックスに恵まれた人を好きになる。
・ネガティブな人が、ポジティブな人にいろいろアドバイスをもらう。
などなど、どれも「人を頼る」とか、「人を依り所にする」という意味では、
いいことに違いないのかもしれません。
でも。
問題なのは、「頼ったあと」「すがったあと」の態度です。
人に頼っている間は、自分でなんとかする必要はなくなります。
そうすると、頼れば頼った分だけ、本当は伸ばせるものも、伸び悩んでしまうのです。
本当は、「どうしたらああなれるんだろう」と学ばせてもらうところに、人にすがる意義があるのです。
そこもわからず、いつまでも人に寄り掛かっているから、
ますます依存的になり、さらに自分の価値まで落ちてしまう。
そう、おかげさま精神もなしに人にすがると、いつまでも高みを手にはできないのです。
すがるのは、腐るためではないハズです。
せっかく頼れる人や憧れがあるんです。
すがるだけなんて、もったいないです。
すがれるものには寄り掛かるだけでなく、きちんと感謝して、自分も同じように磨き、成長する。
それが、最大の恩返しであり、幸せに繋がる気がするのですが、いかがでしょうか!?
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人やもの、はたまた神様や仏様にすがること、あやかることは、
とても大切なことです。
人間一人でできることは限られていますし、得手不得手もあります。
あるいは、心の依り所があることで、なんとか生き抜いていける局面も、人生にはあるからです。
それでは、「すがったりあやかればなんでもいいのか」と言えば、私はそうでもない気がるのです。
「ないものねだり」という言葉には、実は2つの意味があるのではないでしょうか。
ひとつは、「自分が持ってもいないものを欲しがる」という、一般にもよく言われている使い方です。
しかし、私が思うに、「ないものねだり」にはもうひとつ、「自分が持っていないものを人に求めるか、背負わせる」という意味もあるのではないか、という考えがあるんですね。
自分が苦手だったり、持っていないからといい理由で、それを人に求める。
これ自体は、よくあることかもしれません。
たとえば、
・自分の不得意な分野、手の回らないことを、人にやってもらう。
・容姿がまだまだの人が、ルックスに恵まれた人を好きになる。
・ネガティブな人が、ポジティブな人にいろいろアドバイスをもらう。
などなど、どれも「人を頼る」とか、「人を依り所にする」という意味では、
いいことに違いないのかもしれません。
でも。
問題なのは、「頼ったあと」「すがったあと」の態度です。
人に頼っている間は、自分でなんとかする必要はなくなります。
そうすると、頼れば頼った分だけ、本当は伸ばせるものも、伸び悩んでしまうのです。
本当は、「どうしたらああなれるんだろう」と学ばせてもらうところに、人にすがる意義があるのです。
そこもわからず、いつまでも人に寄り掛かっているから、
ますます依存的になり、さらに自分の価値まで落ちてしまう。
そう、おかげさま精神もなしに人にすがると、いつまでも高みを手にはできないのです。
すがるのは、腐るためではないハズです。
せっかく頼れる人や憧れがあるんです。
すがるだけなんて、もったいないです。
すがれるものには寄り掛かるだけでなく、きちんと感謝して、自分も同じように磨き、成長する。
それが、最大の恩返しであり、幸せに繋がる気がするのですが、いかがでしょうか!?