goo

ある卒業式の式辞から

《賢治研究のさらなる発展のために》
 平成27年3月のある大学の教養学部の卒業式の式辞の中で、学部長の石井洋二郎氏は次のようなことを述べたという。
 あやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
と。
 これは、かつて東大の大河内総長が卒業生に贈ったと云われているいわば箴言「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」に関わってのことであり、私も昔この箴言を知っていたく感心したものだった。ところが、実はこれには三重もの間違いがあると石井氏は指摘したという。まずその一つは、この言葉は同総長自身の言葉ではなくJ・S・ミルの論文からの借用だったということ。その二つ目はその肝心のミル自身は「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい(It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.)」と言ってはいるが、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とは言っていないというのである。そして石井氏は、『下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケースです』とまで付言している。そして三つ目、なんとこの式辞によれば、そのとき総長は『卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿には確かに書き込まれていたのだけれども』という。
 そして石井氏は、
 「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、おまけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。
とまとめ、
 早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。
ときつく戒め、
 あやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。
と述べたという。

 私はたまたまこの式辞を知って、ああ全く同んなじだと痛感し共感した。「羅須地人協会時代」の賢治に関する「通説」のいくつかの場合と。私はその通説のことなどを今まで少しく検証して来たが、まさに石井氏が指摘しているとおりであり、風聞や伝聞などのあやふやな情報を、あるいは著名な人や大手の出版社が活字にしたことを裏付けもとらず検証もせぬままに真実であるかの如くに断定調で活字にして世間に流布させ、それが通説となっている場合が少なからずあると。しかも一度流布してしまったことは、その後誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとせず、拡大再生産が繰り返され、情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまっているという実態をいくつか知った。

 それではこの実態にどう対処すればいいのだろうか。石井氏はそのことを次のように続け、
 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。
と訓話し、卒業生に贈ったという。
<引用はいずれも、「東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部」HP(http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/history/dean/2013-2015/h27.3.25ishii.html)総合情報 平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞(東京大学教養学部長 石井洋二郎)最終更新日:2015.07.24 による>

 では石井氏のこの訓話を賢治研究の場合に当てはめてみると、賢治に関する特に伝記的な通説等については、一度あらゆることを疑い、その真偽を自分の目で確認してみること、必ず原典や当時の客観的な一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみることが不可避であるということではなかろうか。それを避けていては賢治研究のさらなる発展は望めないことはもちろんだし、この実態を座視していることは賢治に対して失礼なことだということではなかろうか。なぜならば現在巷間流布している少なくとも「羅須地人協会時代」の賢治像は真実の賢治とはあまりにも乖離しているからである。
 だから、賢治研究においては今まさに「健全な批判精神こそが」一番求められており、賢治研究に厳しさはあるのかと問われているのかもしれない。奇しくも今年は賢治生誕120年、石井学部長の式辞はそれに向けてのどうやら先駆けのメッセージでもあったようだ。

 続きへ
 “『地上の賢治』の目次”へ。
 ”宮澤賢治の里より”のトップへ戻る。
 拙著既刊案内
(Ⅰ)『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)

(Ⅱ)『羅須地人協会の終焉-その真実-』

(Ⅲ)『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京』

(Ⅳ)『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて』

 近々出来予告
(Ⅴ)『「羅須地人協会時代」の真実 「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 露が詠まれて... 賢治の甥の嘆き »
 
コメント
 
 
 
Unknown (Usanosuke)
2017-04-01 11:34:39
「健全な」というところが大事ですね。自分を上に置こうとしたり、知識をひけらかしたり、揶揄したりする批判は良くないということでしょう。
 
 
 
ありがとうございます (Usanosuke 様)
2017-04-04 09:20:19
Usanosuke 様
 ご訪問ありがとうございます。
 気が付くのがおそくなって申し訳ございませんでした。
 はい、「「健全な」というところが大事ですね」というご指摘、今後心して参りたいと思います。
                                         鈴木 守
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。