宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

「初めての絶版回収事件」

2023年11月29日 | 「賢治研究」の更なる発展のために
 
鈴木 さらに同書には、「初めての絶版回収事件」という項もあった。これもまたとんでもないことだと直ぐ分かった。表現の自由が尊重される今の時代、「絶版回収」ということは滅多にないはずだからだ。そして、これが「腐りきって」いた事例なのかと直感した。それは、この事件もまた昭和52年に、まさにその「倒産直前」に起こっていたということになるからだ。
 ちなみに、同項には次のようなことが述べられていた。
 一九七七(昭和五二)年、筑摩書房にとって初めての絶版回収事件が起きる。臼井吉見の長編小説『事故のてんまつ』である。この小説は『展望』の一九七七年五月号(四月刊)に掲載され、五月末に単行本として刊行された。
 作品は、川端康成の自殺を題材にしたモデル小説である。川端康成は一九六八(昭和四三)年に日本人初のノーベル文学賞を受賞したが、七二(昭和四七)年に自殺した。…筆者略…『事故のてんまつ』では、その動機についての臼井の考察が展開されている。
 しかし、小説の発表直後に、川端康成の遺族から刊行停止が求められ、東京地方裁判所に出版差し止めの仮処分申請が出された。筑摩書房は遺族側と話し合い、『事故のてんまつ』の絶版を決めた。取次や書店に残っている本は回収し、在庫は廃棄処分とした。これを受けて遺族側は申請を取り下げた。
 この件には、ふたつの問題点があった。ひとつは、故人のプライバシー権に関する問題であり、出版差し止め要求で全面に出たのはこれだった。もうひとつは、部落差別に関わる問題だった。
〈『事故のてんまつ』(臼井吉見著、筑摩書房)109p~〉

 さて、昭和52年に「絶版回収」されたのであれば、それから40年以上も経ってしまった今、『事故のてんまつ』の入手は困難かなと思った。実際、それが載った『展望』の昭和52年5月号は入手出来なかった。ところが、単行本の方は容易に入手出来た。そして実際に同書を読んでみたならば、故人のプライバシー権や名誉毀損、そして差別問題に対する臼井の認識の不足が読み取れたので、これでは川端康成の遺族も憤りを感じたであろうことは私にも想像出来た。しかしこの内容であれば、遺族から出版差し止めの仮処分申請が出されるということまでは……と多少違和感もあった。
荒木 それはなぜ?
鈴木 改めて同書を読み直してみたならば、臼井はその「あとがき」の中で、
 本にするに当たっては、いたらなかった点に、朱筆を加えた。このことが、作品をいっそうひきしめることにもなると考えたからである。〈同204p〉
と述べていた。ということは、『展望』掲載版を単行本化する際に、臼井が大幅に書き変えた箇所があったに違いないと推測出来たからだ。
荒木 なるほど。

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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