goo

453 昭和2年の賢治の上京(#53)

チェロは殆ど上達せず  さて、前述したように  楽団を解散はしたものの、少なくとも昭和2年の秋頃までの賢治はチェロの練習をあの〝一年の計〟に則って一生懸命続けていたであろうと思われる。 のだが、その頃の賢治のチェロの腕前はどうであったか。残念ながらそれは、少なくとも教え子澤里の証言「実のところをいうと、ドレミファもあぶなかった」とか、友人藤原嘉藤治の証言「それもまったく初歩の段階で、音楽の技術は幼 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )