若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

「酒のひらどご屋」(長崎市平戸小屋町)

2004年09月28日 | ものおもう十四代目
 
長崎での会議に出席する前に「酒のひらどご屋」の吉田真一郎君を訪ねて行きました。

いま、町のお酒屋さんがどんどん消えて無くなっています。これまで酒販免許制度に守られてきていた中で、量販店(DS)やコンビニ(CVS)などの新業態ができ、売上が激減したこと。そうした買い手主導の市場環境の変化について行けなかったこと。後継者の育成ができていなかったこと。複合的な要因があるけれど、今も町のお酒屋さんは毎年、廃業が増えています。

吉田酒店も先行きを悩んでいた、若竹屋とは25年来の付き合いのあるお酒屋さんでした。お母さんの真理子さんが切り盛りしていたお店に、息子の真一郎君が帰ってきました。彼が勤めを辞めて戻ってきたワケは「母に楽をさせたい」という気持ちだったに違いありません。

創業者であった夫を亡くし、けして良いとは言えない立地で、わずか10坪のお酒屋さんで、懸命に働いてきた母親。その母が守ってきた店もこのままでは立ち行かないかもしれない。真一郎君には危機感がありました。僕たちと一緒に福岡市内の素晴らしい酒販店を何軒も廻って将来の模索を続ける真一郎君の姿に、僕たちも心打たれました。

がっしりした身体に人懐っこい笑顔の真一郎君。若竹屋のスタッフも、紹介した酒販店も、彼の力になりたいと思いました。それだけの誠実さと情熱が彼にはあったのです。これまでの長崎にない日本酒専門店にしよう。彼の胸中にあった方針を巡っては真理子さんとのやりとりもあったようです。しかし、彼の父・五郎さんが創業した時と同じく、再びの創業を目指した彼の信念は揺らぎませんでした。

彼の情熱と行動力は、関東の有力な日本酒専門卸の社長をも惹き寄せました。そしてこれまで長崎に無い品揃えができたのです。既存の商品と顧客をすべて失うことになっても、これから自ら生きる道を求める。保障も自信もあったわけではないけれど「母を楽にする」そして「大好きな長崎で酒を通して感動を届ける」その想いだけを胸に真一郎君は決断をしたのではないでしょうか。

第2の創業から1年と5ヶ月。久し振りに訪ねた彼の貌(かお)には、専門店としての自信と気概がしっかりと現れていました。「自慢の息子です」と言った真理子さんの言葉に僕も目頭が熱くなりました。「真一郎君、君はまだまだ親孝行は出来とらんよ!次は早よう結婚ばせんとね(笑)」そう言った僕の目を困ったようにみつめて笑う真一郎君なのでした。

酒のひらどご屋