若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

500gで生まれた全盲の女の子

2005年06月26日 | 近ごろの十四代目
生きてます、15歳。―500gで生まれた全盲の女の子

ポプラ社

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今日は井上美由紀さんとお母さんの美智代の講演を聴く機会がありました。笑いあり、涙ありの素晴らしい講演でした。

超未熟児での出産はあまりにリスクがあると医師に堕胎を勧められた母・美智代さん。しかし彼女にはどうしても出産したい理由がありました。結婚の約束をした人との間にできた子供。反対にあおうとも籍を入れようと言ってくれた。その人が出張で出た先で交通事故で突然、亡くなったのです。そしてショックから美智子さんは早産してしまうのでした。

生まれた児は体重わずか500g。身長はボールペンほどしかありません。指は爪楊枝、頭は卵くらい。そして血行が悪いためか全身真っ黒でした。でもかすかに手足がピクピクと動いています。この児は生きようとしているんだ、と感じたと言います。

保育器に入ったわが子は、全身に様々な器具を取り付けられています。生まれ持った病名も10以上ありました。とにかく生きて欲しい。そう願いながら面会に通い続けます。そして出産5ヶ月目にわが子が「未熟児網膜症」つまり生まれながらの全盲であることを告げられます。

死のうと思った。育てる自信もない。どんな死に方をすればいいのか、そればかり考えていたと言います。しかし万一どちらかが生き残ったらそれこそ地獄。同じ地獄なら二人で生きよう。そう思い直し、美智代さんは決心を固めました。出産7ヶ月で病院の反対を押し切り美由紀さんを保育器から出し退院。そのときの美由紀さんの体重は1700gでした。

その後、美智代さんの壮絶ともいえる子育てが始まります。もう二度と泣かない。そう心に誓い、美由紀さんがいつか自立できること希望に厳しく躾けました。そう、娘にオニババアと罵られようとも。

幼稚園の準備に一時間半もかかります。上着に足を突っ込んだりと普通の子が出来る事ができない。教えてやるのは簡単です。しかし、じっと待つ。初めてシャツを着れた時はものすごく喜び、褒めました。私が美由紀にできることは抱きしめること、それだけなのです、と。

実は母・美智代さんも母親のいない子でした。しかもネグレクト(育児放棄)されていたそうです。美由紀さんへの厳しい躾けは、自覚のない幼児虐待では、と悩んだこともありました。そんな美智代さんもまた、育児を通して美由紀さんから救われていたのです。「お母さん、私を産んでくれてありがとう」盲目の娘の言葉に心の傷は消えたのでした。

まさに波乱万丈、苦難の連続といっていい美智子さんの人生。しかし、いま美智代さんはこういいます。美由紀ありがとう。おかあさんはあなたを育てたことで、人生の課題をクリアできました。自分の母親を許し、愛せるようになったのです、と。そして美由紀さんもこう言いました。

私は目が見えませんがみんなの優しさが聞こえます。メチャメチャ子を愛するおかあさん、産んでくれてありがとう。私は目が見えないのでたくさんのことはできないかも知れません。でも努力することはできます。今度はおかあさんに喜びの涙をながしてもらいたいです。それは私の夢を実現できた時に叶うでしょう。

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