オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

「しゃばけ」

2005年07月30日 09時16分16秒 | ほぼ、文庫本

しゃばけ/畠中恵/新潮文庫


表紙を見てもお分かりでしょうが、おばけ(笑)が出てきます。妖怪。本書では「妖」と書いて「あやかし」と読ませています。
厳密にはお化け、幽霊、妖怪、物の怪、亡霊…、それぞれに全部違うらしいんですね、いやおいらは全く知りませんが。なので、おいらは「そういうもの」をまとめて「人ならぬもの」と呼んでいます。
人ならぬもの、の話は子どもの頃から好きです。(とはいえ、小学生の頃、クラスに一人はいたような「妖怪大百科」みたいな本を好んで読み漁り、妖怪の名前とそれがどんな妖怪か、を解説できるほどのことはありませんでしたが。)
大体が、この世の出来事森羅万象をすべて、理論的に説明がつく、と考えるのはどうかと思うんです。よくテレビの特番などで超能力者VS大学教授、みたいな対決モノを組んで、超能力といわれる力やそれによって引き起こされる現象について科学的解明する、とかいうのがあるでしょ?あれはおいらにとってナンセンスこの上ないものです。
いいじゃないですか、説明がつかないことがあったって。
よく分からないけどそうなるもんはそうなる。見える人には見えるし、聞こえる人には聞こえるし、分かる人には分かる。
…ってこの手の話をすると非常に長くなりますから割愛しますが。

この本は、人ならぬもの、にまつわる話、というだけではなく、それを使って、人間の業とか欲とか、生きていくってことはこうだ、みたいな事を書いたものです。ですから、様々な妖怪達がなんともイメージしやすい描写で登場してきますが、それらの「お化け話」というだけではない。あくまでも描かれているのは人の世の話、そこに妖怪達と(それとは知らぬ間に)共存している人間の話です。
実際、おいらは「お化け話」のつもりで読み始めて、人間の方には、妖怪が見えている(妖怪であると分かっている)若旦那以外にはあまり気を配りませんでした。そしたら、途中で何度か前に戻って読むハメになりました。後半を過ぎてから、どんどん話が込み入ってくるんだもん。
ある意味、捕物帳っていうか、推理モノっていうか、スリル?サスペンス?な話になっていますから、犯人の謎解きみたいな楽しみもあるといえばあるかも。
おいらの数少ない読書遍歴を引っくり返して、たとえば京極夏彦の巷説百物語、みたいな感じが近いかもしれないけれども、あれよりも全然、出てくる妖怪達が大人しくておどろおどろしくないです。妖怪に限らず、人間もどちらかといえばかわいいもんです。
ああ、そうか、京極作品のライト版、て言うと本書のイメージとしては近いかも。入門書、みたいなさ。

この世の中、目に見えているもの、耳に聞こえているもの、手足に触れているもの、…人間の五感に感じられるものだけが存在しているわけではない、とおいらは思います。そんな、あーた、いくら科学が進歩して、人間が宇宙を飛びまわっているとしても、世の中全部を理屈で割り切ってしまおう、というのは傲慢というものですよ。