オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

「イチローイズム」

2008年08月12日 16時33分33秒 | ほぼ、文庫本 2008
イチローイズム/石田雄太/集英社文庫

このタイトルが凄い。名は体を表す、そのもの。
イチローはイチローであろうとするところが格好良いのだ。
映画なんかで職業軍人とかいう言葉があるが(もっとマシなたとえはないものか)、さしずめこの人は、職業野球人とか、そんなところか。
「成功する、という言葉が好きではない。」彼に言わせると、成功する、という言葉には対他人、という視点があって(というかそっちが主で)自分が求めるものとは違う、と。あくまでも彼にとって勝負するべき相手はいつも自分自身であって、つまりはどこまで「野球人:イチロー」であり続けられるか。

おいらはまったく野球はやりません。
ただ、学生の頃に、マネージャー(のまねごと)をしただけ。
それでも一番親しいスポーツが野球だから、多分、まったく知らない人よりはイチローの野球人としての凄いところ、はわかると、思う。わかるっていうか、想像しやすいっていうか。だからどうだと言われてもいや別にどうってことはないけども。

でも、この本は、何かの道を究めようとする、向かっている、という人にはきっと読み応えがあると思う。
おいらのように、まだなんにも見えてすらいない人でも(それはそれで問題山積だが)とりあえず、胸の中に響くものはたくさんあった。
なんていうか、背筋が伸びる本。

で、おいらはますますイチローが好きになった。(顔立ちも好みだし)(いや聞いてねえ!)特に、最後の方にでてくる、一弓(彼の愛犬)と本気で遊ぶシーンなんてもう、映像が浮かんで浮かんで…い、い、一弓になりたい(やめなさいって)。
そうそう、イチローもかれこれ35歳?なんだよね。
読みながらふと、年齢を数えていたらまさにその声が聞こえたかのようなタイミングで、本の中で彼が言う。

「50歳で、まだまだ発展途上ですから… と言いたい」

なんて人!
んもう、ブラボー!!ワンダホー!!ハラショー!!

「救命センターからの手紙」

2008年07月16日 10時51分52秒 | ほぼ、文庫本 2008
救命センターからの手紙/渡辺祐一/集英社文庫

集英社文庫の「ナツイチ」ラインナップより。
これ表紙もナツイチ仕様なんだねえ、道理で爽やかだ…。

同じシリーズからもう一冊ゲットしているので、そのうちに読みます。
現場の言葉は、そこいらのチャチな作り事など圧倒的な重厚感ではねのける。
といって、血まみれドロドロのスプラッタムービーを展開することはなく(そんなのだったら読まない)。
生きるか死ぬかの命の話という重みは、淡々と、でも確実に届けられる。

読んでて、江口洋介の出てた「救命救急24時」(第2シリーズ)がちらちらしました。

「ふたたびの虹」

2008年07月16日 10時42分19秒 | ほぼ、文庫本 2008
ふたたびの虹/柴田よしき/祥伝社文庫

帯のイラスト(表裏で絵が違う)と「おばんざい屋」という言葉に惹かれて。

短編連作集なので、通勤車内でさくさく読める。
このくらいの長さなら、往復で一編読み切りなので、リズムもすこぶるよろしいですことよ。

話は、オフィス街にある「おおばんざい屋」(兼一杯飲み屋)を共通項にした人の、人間模様ちょいミステリーつき。
ミステリーというからにはちょっとしたハプニングがあり、大体はあまり突飛な事件ではなく(例外もあるけど)、そこそこの御都合主義的な解決または落としどころに繋がる。
…そういうところが、あんまりミステリー好きになれないところ。こんな風にうまくいくことなんて現実には滅多にないやん…ほなあえて解決させんでもええやん…
とか思う。ああ、そんな身も蓋もない…(苦笑)

ちょっとむずがゆい感じが、なんかこう…居心地よろしくない…
が、こういう店の一つも知っていたいお年頃(え)。
それぞれの短編にでてくる
かぼちゃの煮付け、桜飯、松茸の土瓶蒸し(鱧だしで!)、黒豆の枝豆、筍と若布の煮物…
なんぞという一品がなんとも食欲をそそる(ヤバい)。
解説で池上冬樹氏が書いているが、氏に言われずともおいらの脳裏には池波正太郎の「剣客商売」が出てきた(ちなみに池上氏によれば同じ池波正太郎の「鬼平犯科帳」なのだが)。

いわゆるグルメな小説にはさっぱり食指が動かないが、
普段の料理がきちんと書かれたものなら、おいらは好きらしい。小説(文字)だけでなく映像(写真集や映画)も含めて。
…食べることにはちっとも意欲的ではないのに。

え。本の感想?

…おばんざいの出てくるシーンは何回も読みたいです。(うっは!どんだけー!)

「長宗我部三代記 四国制覇の夢」

2008年07月04日 02時48分07秒 | ほぼ、文庫本 2008
長宗我部三代記/羽生道英/PHP文庫

長宗我部元親にはちょっと思い入れがあって。
いやまあ、それはほら、某ゲームで使い勝手がよかったとか、そういうオチなんだけど(苦笑)(しかもそれ、かーなーり!初期のゲームですからー!ファミコンですよ、ファミコン!スーファミですらないって!!)。
そのゲームの時の元親の顔がさー、サテンのマスターっぽくって(そこかよ)。

よく、長宗我部(元親)については
鳥なき島の蝙蝠(梟、とも)
なんてなことを言われたりする、つまりは、四国にそれほど強い相手がいなくて
その中で覇権を握ったとしても、それがナンボのもんじゃい、みたいな(…ち、違いますか)。
んー、まあ、後の世の人からすれば、そう言えなくもないだろうけどもさ、武将個人の力量としてみたときに、それほど劣るものでもなかろう、と思う(思いたい)。
だから、ていうのもあって、長宗我部を書いたものは、他の武将よりもちょっとだけ、手に取る頻度が高かったり(でも買う、までいかない)(爆)、読んでみようかな、と思う度合いが高かったりする。
大体がほら、おいら超メジャー級なところよりも、ちょいマイナー系の方が惹かれるんだもん(え、長宗我部はちょいどころじゃないマイナーですか)(失礼な)。

ですが。

正直、本書は読みづらかったぞー。
もっと小説っぽいかと思ったのに、意外に歴史書ていうか、物語性が薄かった。
書き方だよなー。
たとえて言うなら、おいらは歴史モノに結構食指が動きますが、それはなにも「歴史」を紐解きたいのではなくて、歴史をネタにした「小説」を読みたいのであってね。虚実混じっててもいいからさ。
PHPの武将小説(と勝手に読んでいる)はそらもう、えらい数がありますが、全部が全部小説ちっくなものばかりではないんだった…、てことを、本書を読みながら思い出しました。だから藤堂高虎とか滝川一益とか読まなかったんだもんな(作者忘れたけどな!)。

土佐、といえば、後々、幕末になって大活躍する土地柄であるわけですが、その根っこになることが、この戦国時代にすでに培われているんだなー、と、改めて、歴史ってのは繋がってるものなんだなあ、と思いました。
もうちょっとちゃんと読み込まないと駄目ですが、ざっくり言うと
長宗我部氏は早い話、関が原で徳川方につきたかったのに(とされている)止むを得ず石田方につかざるを得なかった。その後、家康に誠意を認められて(っていうのも、ものっそ口惜しい展開なんだけれども、ま、そこは戦国の世のならい、てやつで)土佐を半分取られただけで許される。
んですが、結局大坂冬の陣夏の陣で豊臣方についたことで、最後は元親の嫡男(長男ではない)盛親が捕らえられて六条河原で斬首刑になり、長宗我部氏は滅亡となります。
その代わりに土佐に入ってくるのが、山内一豊。で、そのずーっと後、幕末の土佐の領主が山内容堂。
そりゃね、土佐の人からすればね、トンビが油揚げをさらいにきた、ような山内一豊よりも、ずーっと自分達の御屋形様だった長宗我部の方に情も恩もあって然り、山内に関してはともすれば反逆の意を抱いても致し方なし、てところがあるわけで。
それがこう、めぐり巡って、坂本龍馬だの武市瑞山だのっていう反幕府側の中心となる人物が生まれる土壌となっていくわけですね(た、多分)。
…学生の頃、歴史をまともにやらなかった人(=おいらだよ、おいら)の頭で理解するのは、ま、こんなもんだ。(え、開き直り)

いずれにしても。
長宗我部氏ていうのは、たとえば四国・土佐ではなく、三好氏の領地であった(はずの)讃岐だの阿波だの、畿内に近い方に存在していたとしたらどうだったろう。あるいは本州にいたとしたら。
…歴史に「たら・れば」はつきもので、言うても詮無いことではあるけれども、ね。

「空の中」

2008年06月29日 14時38分29秒 | ほぼ、文庫本 2008
空の中/有川浩/角川文庫

うぅゎどうしよう面白いよ!

…というのが、半分よりちょっと手前まで読み進んだときの、魂の叫び(笑)。
初っ端、出だしが飛行機事故で、しかも、民間機のテスト飛行(だったはずだ)という、あまり一般的ではない場面での事故。
さらに続くのが、航空自衛隊による事故調査のための、いわゆる現場視察のための飛行。
…正直、「スカイ・クロラ」を彷彿とさせて、え、また空の話だよ、しかもナニゲに詳しいよこの本、そういう本なのかな、とちょっと食傷気味…。
そういえばこの作者の「図書館戦争」シリーズだって、自衛隊ちっくな図書館防衛隊が、そりゃもう鮮明に詳細に書かれていたもんなあ。…なに、この作者ってミリタリーオタクとかいうやつか?(こらこら。せめて膨大な資料を読みこなしてリアルに書いてる、とか思おうよ。)

この出だしの違和感ていうか、設定に抵抗がなければよし、もし読みにくかったとしても、ここさえ乗り切れば後はざくざく読める。
時に月9のようなベタなラブコメ、時に学園青春モノのようなベタな若者(ていうか子どもか)像。肩の力の抜きどころは満載。
出てくる人物のキャラクターが一々立っていて、どれかに自分を投影させるもよし、人物それぞれを平等に追っ掛けるもよし。アニメ化かドラマ化(映画化)を想定して、声優や俳優をキャスティングするとさらに楽しめること請け合います。

…と、まあこのくらいにしておいて。

この話の、何がどうって、
おいらには痛かった。
よく言われる「イタイ」話という意味ではなくて(いや実際「イタイ」人たちが出てくるし、そういう人たちの話ではあるんだけど)、
身につまされるというか、身に覚えがあるというか、こっそり一人で隠し持っているものをずばりと指摘されて、痛い。…これは、私だ。

大人と子ども、という対比がいろいろな形で、出てくる。
そして多分、そのどれにおいても「子ども」は、「大人」になっていくのだ、という、大まかに言ってそういう話だと思う。
たとえば、瞬とフェイク。真帆の母親と真帆。対策本部と「セーブ・ザ・セーフ」。リアルに大人と子ども。そして多分、白鯨とフェイク。
とどめに、大人の中の大人、揺ぎ無い絶対の大人の存在として、宮じい。
って書いても、何のことかさっぱりだよね、読んでない人には。
でもこれを一々、これが誰でそれはこうで、と説明するほどお人好しじゃないからさおいらは。(え、開き直り?)
説明したら、ものっそ味気ないことになりそうだし、その意味でも止めておきます。それは賢明な判断だと自画自賛。

P327の終わり5行目からの、佳江と宮じいのやりとりが、もう、ぐっとくる。
そこで言う、宮じいの
「間違ったことを正しかったことにしようとしたらいかんわえ。神様じゃないがやき、あったことをなかったことにはできん。」
これがもう、すぱぁん、と、来た。
うわやられた。
この宮じいが素敵すぎる!
さらにこの高知弁!!
ああ、坂本龍馬もこんな風に喋ってたんだろうなあ、などと思ってしまったことはご愛嬌、てことで一つ。
解説で新井素子女史が書いておられるとおり、この話の何がキモって、そりゃもう、宮じいと高知弁だと思う。この二つなくして、本書の面白さとか深さとか、そういうのは有り得ないから!

で、おいらもこの新井女史に倣って言う。

まあ、読め。
いいから、読め。
とりあえず、いっとけ。
面白いから。