深紅/野沢尚/講談社文庫
帯にもありましたが、これ映画になったようですね。メジャーなところで上映したのかどうか分かりませんが、レンタルに出たら見る、…かも、しれない。いやだって水川あさみちゃん好きだし。
実はこの本、昨年の秋にちらりと立ち読みしてて、その冒頭から36ページの真ん中あたりまでを一気に、それこそ引きずり込まれるように読みました。京都の丸善があと二日くらいで閉店する、という日曜日(土曜日だったかも)で、もう随分スカスカになった文庫のコーナーをぶらぶらと物色してた時でした。
「お嬢さん」
池田さんが呼びかけてくる。(略)
「長い間、お疲れ様でした。到着しました」
池田さんはやっと使命を終えたのだった。
(「深紅」より本文抜粋)
ここまで読んで、よっぽどこのまま買って帰ろうかと思ったんだけど、如何せん、お財布がね(苦笑)。っても文庫本なので1000円もしないんだけど(税込み695円)、でもこの後でメインの買い物があったので、後ろ髪を引かれて引かれて引かれて引かれたけど、買わずに帰りました。
それから、ブックオフで捜したり、よく行く本屋でも、ほんとに何度となく探したんだけど、なくてねー。あー、これはあの丸善で買わなかったから本が怒ってるんだな、と思った。(本に限らず、どうしようどうしようって迷って結局買わなかった物が、その後全然巡り会わなくなることって、あるよね。)
買えない間も、冒頭の一気読みした部分をほとんど覚えていて、もちろん一字一句丸暗記してという意味ではなくて話の筋を、なんだけど、なんかこう、すでに頭の中で映像化されたイメージとなっていたような気がする。主役の「お嬢さん」と池田さん(地方のタクシー運転手)に呼ばれた小学6年生の女の子は、今やってるドラマ「白夜行」で綾瀬はるかの少女時代をやってる子(前のクールで「女王の教室」にも優等生役で出てたよ)。ちなみに池田さんは高橋克実(笑)。
ほんとにもう、どこの誰がいたずら(もしくは意地悪)してるんだか、ちっともさっぱり見掛けなくってさー。気持ちを紛らわせようとして、野沢尚の他の文庫本もちょろっと読んではみたんだけど、いや実際他の作品でいくつか機会があったら読もうかなと思ってるのはあったから、それを立ち読みしてもみたんだけど、どうにもこうにも尚更「深紅」が読みたくなって。なんかね、ちょっとした片思い状態だったよ、ここ3ヶ月くらい。
で、時は移ろって、おいらはなんとその間に運転免許なんてものを取ってしまい、初乗りに「だー」に叱咤激励されまくりながらぶらぶらしたんですよ。その中でいつもの本屋に行きましたですよ。
正直、本屋でちょっと休憩したかったんですよ。なんせ初乗りですから!教習所の教官よりも厳しい教官(=「だー」)(笑)を横に乗っけてますからね、疲れるなんてもんじゃないっすよ!
んでもそんなおいらをちゃんと、どこかの誰かは見ていてくれたようで、よしよし、ぶぅたれずによくここまで来たね、じゃあご褒美だ、といわんばかりのタイミングで、「深紅」は何気なく目線を止めた文庫の棚の、ほんとに目の前にすとん、とありました。
なに、なに、なに!?あれほど捜して捜してフラれ続けたヤツに、こんなにあっさり巡り会っちゃってもいいんですか!?やっほう!ブラボー!カミサマありがとう!おいらの片思いは一気にぐわっっ、とヒートアップですよ。
読みたい読みたい、ががっっっと読みたい。
我慢なんて出来ません、立ち読みしました(笑)。しかも、前回立ち読みしたところまで。ほら、ドラマなんかでもクライマックスの回の冒頭部分に、初回から前回までをざざっと振り返ったりするところがあるじゃないですか。まさにおいら、あれをやりましたよ。ざざっと振り返るどころか、念入りにじっくりビデオ録画を見直した、くらいの念の入れ様で。ははは。
さて。
ここから本題(本の感想)に入ります。前振り、長すぎ!!
なんか、
え?あれ?え、それでいいの?あら?いや、そうじゃないでしょ、ねえ?
…あ、終わっちゃった。
みたいな感じ。
これは偏に、おいらの3ヶ月にも及ぶ片思い状態の副作用だと思われます。あまりにも、その見事な冒頭部分に飲み込まれて、その印象ばっかりが強くなっていって、思い入れも気持ちの入れ込み様も多分半端じゃなかったんです。今なら分かる。
でも読んでる最中にはそれが分からなくて、えー、なんでー、こうなっちゃうのー、
うわつまらねえ! とか思っちゃったよ。なんてまあ無礼な。
熱くなり切ってしまった、ヒートアップしすぎて針が振り切れてしまった頭では、おいらの嫌いな、ド派手な展開だけを追っていって人間性の欠片も掘り下げないで、サスペンスじゃなくホラーやスプラッタムービーのような筋書きを期待してたんです、いつの間にか。うん、今なら分かる。
さすがは野沢尚です。
そんな安っぽい話ではありませんでした。そう、今なら分かる。
というわけで、もうちょっとインターバルを空けて、おいら自身(の頭と気持ち)をクールダウンさせてから再読します。
それにしても、これだけは思った。
野沢尚の小説って、どうしてこう、簡単に映像化できるんだろう。文字を読む端から、頭の中でそれが一編の映画(またはドラマ)になっていく。
「反乱のボヤージュ」でもそうだった。
きっと、彼(だよね?)が多くのテレビドラマの脚本を手がけていることと、無関係ではないだろうけど、惜しむらくはもう新作が読めないってことだ。(なんて言えるほど数を読んでいるわけではないので、口幅ったいことこの上ないですが。)