オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

映画村

2006年03月25日 22時53分20秒 | 新・携帯日記
行ってきました、東映太秦映画村。
生まれて初めて行ったよー、こんなんなんやー、ほええー。
何のドラマ(か映画)かは知りませんが、時代劇の撮影してました。いい天気でよかったねー。いや、それはそれで日焼けが、とか光の当たり具合が、とか心配しないといけないんでしょうけれどもさ、そこは素人が分かる話じゃないので、割愛。
人知れず、忍者がレスキュー隊員よろしく綱をつたって城へすいー、と忍び込んで行ってたり(これ、誰も気が付かなかったら、寂しいだろうなあー、とちょっと切なくなりました)、そこここに新撰組隊士(の扮装をしたお兄ちゃん)や町娘や瓦版売りがいたり、突如大道具の駕籠が軽トラックで移動していったり、と、時代劇ワールドどっぷり、て感じでした。
あ、写真は見学用のオープンセットです。ちっこく映ってるお侍さん(おそらくお奉行様?与力ではないので町方というところか)はエキストラっていうか、えー、上で書いた新撰組隊士や瓦版売りと変わらない立場の人(スタッフ、て言えよ!)です。多分。
ただ!
この時代劇ワールド満開の映画村において、こじこじがもっとも長い時間へばりついたのが、映画「男たちの大和」展示だってんだから。
そうそう、この映画村の中ではね、突如「本番いきまーす!お静かにお願いしまーす!」ていう声が響きます。直接撮影隊が見えないところでも音声は拾ってしまうので、結構広範囲で規制(笑)されます。今日なんか子どもが多かったから、撮影スタッフは大変だったろうなあー。子どもはほんとに、おかまいなしでしゃべるわ、笑うわ、動き回るわ…雑音の宝庫ですよ。

で、そのあと、嵐山へ出て駅のホームにある足湯も楽しみました。結構な人気です。

あと、夕食は新たなラーメン屋を開拓。「希望軒」というところです。我が家でラーメンといえば「来々亭」が不動の地位を確立していたのですが、そうやらそれを脅かす存在になりました。
美味かったよ!
だしがいりこや煮干しが主流で、その味がしっかり残ってます。今までのは鶏ガラベースだと思われますが、この煮干しベース系は初体験です。なので、えー、煮干しの匂いに敏感な人は、生臭いと感じるかもしれませんが、普通の人なら全然気にならないと思います。
だしがしっかり利いたスープで、背脂系です。卓上にニンニクとそれを潰す器具が置いてあって、お好みでどうぞ、なスタンス。あと、海苔(焼き海苔)を2,3cm角に切ったものが、大きな容器にどーーーん、と入れてあって、これもお好みで、お好きなだけどうぞ的スタンス。確かに海苔入れるとすっげえ美味かった。麺は細めのちぢれ麺。それがかたゆでで出てくるっていうのが嬉しいじゃありませんか。
おまけにギョーザにはパリパリの「耳」までついてます。

で、今日一日、ほこりっぽいところに居たのがきいたのか、こじこじと二人して喉が痛いっすー!空気も乾燥しまくってたからなー。

連想バトン

2006年03月25日 22時33分26秒 | 過去ログ
プウコさん宅(いや、だから家じゃないからね、念の為)からかっぱらってきました。連想…妄想じゃだめなのね(苦笑)…。

・『恋』
→まっしぐら
・『愛』
→受容
・『親友』
→暗黙の了解
・『友達』
→接点
・『家族』
→最も小さな「社会」
・『母親』
→最後の砦
・『父親』
→背中
・『兄弟・姉妹』
→最も身近な他人
・『永遠』
→宇宙
・『現実』
→五感
・『死』
→訪れるもの
・『生』
→与えられるもの
・『未来』
→決してこの手に掴むことのできないもの

なんだかなあ。
連想って、いざやってみると難しいな。言葉の説明とかイメージ論とか妄想(笑)とかになってしまう。え?どっかの宗教の問答みたい?そんなはずはありません(きっぱり)。
そういえば昔々某国営放送(だから某じゃないってば!)でやっていた「連想ゲーム」という番組、面白かったなあ。なんかかなり長期に渡って見ていたような記憶が、うっすらある。っても、この番組、これを読んでる人のどのくらいが知ってるんだか、なあ(泣)。

で、次に10人に回すそうなんですよ、これがまた。
…無理。

「白夜行」最終回

2006年03月24日 22時09分35秒 | テレビがお守り
終わりましたねー、いや、そりゃ終わらないと次のドラマが始まらないから!(笑)

えー、原作をどうにかこうにか読んで、それから最終回前と最終回(あるいはもう一回前もかな、詳しくは覚えてないけど)を見ました。
最終回を見て、思いました。
そりゃ これは原作を好きな人には、ちょっと納得いかないドラマだろうなあ と思いましたよ、おいらでも。さすがに。でも、決してドラマを否定するわけではなくて、別個のモノとして見ればいいだけの話で。

初回に見た、山田くん(桐原亮司)が血まみれのサンタクロースになって倒れてるシーンの謎解きは、ああ、そうだそうだ、原作でもまあ、似たような感じだった、うんうん、とか思ってました。誰かに刺されたとかじゃなくて、という点でね。
そこに至るまでの、歩道橋の上での、武田鉄矢(笹垣潤三)の命を賭けた説得ていうか、対峙には、不覚にも涙がこぼれそうでした。曰く「あの日、お前を捕まえてやれんで、済まんかったなあ」。そらあんた、こんなん言われた日にゃ、泣いてまうってー。

原作では、亮司の死を目の当たりにしても、顔色一つ変えずに通り過ぎていく(現場を後にする)雪穂、というシーンで終わってたような気がしますが、ドラマではその後、が描かれましたね。
真実をあの世へ持って行ってしまった亮司のあと、雪穂は嘘で塗り固めた供述をし、おそらくは無罪放免になったものと思われます。ここまではヨシとしましょうよ。でもそこからがいけません。
実生活はそれから奈落の底にまで転げ落ち、店は潰してしまい、自らの精神をも病んでしまいます。折角、亮司が命と引き換えに用意してくれた、死人に口なし、の理屈っていうか、残ったもん勝ち、っていうか、つまりはどうとでも都合のいいように曲げられる真実でもって太陽の下で生きていく術、を、彼女は結局ふいにするわけです。
それは、どうだろうな。
雪穂がここへきて、いや、ここまできて、そんなやわな事するかな。
ナレーションで「そして私は、たった一つの真実を失った」みたいな事を言ってましたけれども、そうじゃないでしょ。そんな、なんていうか、感情に流されてすべてをふいにするような、そんなタマじゃないでしょ。
もしも、百歩譲って彼女が、亮司をなくした事で生きる目的を見失ったとして、だからこそ、の精神の破綻だったとしても、そうなる前に自ら死を選んでいるはずだと思うな。「リョウに悪いから」って自白もせずに、かといって彼が生きていた頃と同じように精力的に幸せ(=金、だろう、やはり)を求める生き方をもやめてしまうような、そーんななよなよした人間じゃないだろうよ。

生きろ。
何があっても。
生きろ。
どんなことをしても。


という強い意志を、最後まで貫いてほしかったなあ。

何の為に生きるのか。
それは、死んでしまった人の分まで「生きる」ということをまっとうする為だと、おいらは思う。

…なんてな。(by 湾岸署・和久さん)

アンフェア

2006年03月22日 17時55分44秒 | テレビがお守り
昨日のアンフェア、えー、そうなのー!?と思いながら見てました。いやー、彼がそう来るとはなー。つくづく、録画しておいてよかったよ、と思いました。まだ途中の回がごそっと見られていませんもので。

雪平刑事は職業柄、合法的に人を殺めることが可能ですが(ってなんかえらい誤解を招く言い方だけどな)、だからといって罰を受けなくていいというわけではなく。
ハスミが山路管理官に「殺して」って頼むと、彼は「生きて償え」って言いましたよね。確かにそれは、死ぬよりも苦しい事ではあるけれども、償う術を与えられるという点では、雪平よりも救われるのかも、と思ってみたり、した。
雪平が安藤を射殺したことは(あ、書いちゃった)その場の状況その他もろもろ鑑みて、致し方なかった(であろう)事とはいえ、法的に何の罰も与えられない、つまりは償う方法を示されない彼女は、ハスミよりも辛いよな、と思った。

罰を受けない事が、すなわち最大の罰である。

…なんてな。


<余談>
ところでこのブログ、おいらの妹にまで所在がばれそうで、いや、ま、いいんだけど、そうやっておいらの実像を知る人がどんどん見るようになると、書く内容が制限されてくるなあ、とか思ったりする。
…何を書こうというんだ、オレサマ!!(爆)

いとこ

2006年03月21日 11時17分41秒 | 新・携帯日記
「こじこじ」と、いとこ(おいらにとっては甥)。
この歳で、テレビゲームで対戦するなんざ、今時の子どもだねえ。…とか思うおいらは、もう、いけてませんか?(ていうかその「いけてませんか」てきくあたりが、もう…以下略)