前を見て

体は不自由でも元気に、家族と助け合いながら過ごす日々

ICU・トサミズキ

2010-03-01 20:50:35 | 日常生活

最高気温は10度でした。

今日は義父の月命日、月経(つきぎょう)の日でした。
いつもの時間にお寺さんが来られ、ダンナさんと3人で一緒にお参りをしました。
時間は20分位で終わり、お寺さんに余裕のある時は世間話もしていかれます。
築50年近く経つ我が家です。
今年こそ建て替えたいと思ってましたが、日蓮宗はその年が建て替えに良いか、その年でも何月頃が良いか、家の鬼門などを重要視します。
これまで何回相談したでしょうか・・
お寺さんでは「今年は良くない、設計図は出来ているか」などと聞かれ「まだ業者に頼んでない」とダンナさんが答えると「今年は設計図を検討する年にして、出来上がったら見せて下さい」と言われ今年も建て替えはしない事になりました。

庭のトサミズキの蕾が膨らみもう少しで咲きそうです。


小さな赤いおしべが透けて見えるでしょうか?


今日のテレビ番組で私が入院していた病院のICU病棟が放送されてました。
(私は自分が入院していた病院が放送される番組とは知らずに録画して)
部屋は8室、2週間しか入れません。
沢山の点滴を下がっているのが見えると、ダンナさんは「お前はもっと下がっていた、2週間で病棟に移ったが生きる保障はなかった」と・・
私がかすかに覚えているのは「こんなショック状態で手術するのか・・」と。
血圧計が殆ど動かなかったそうです。
姉の携帯にはダンナさんからのメールで「人口呼吸器が外れた・・・」と残ってました。
手術後、お腹を切って小腸や大腸を体の外に出した写真をダンナさんや子供達が見せられたそうです(この事はかなり後にダンナさんから聞きました)
ダンナさんは今でも「あの時のことを思うとおまえは奇跡だった」と・・
病棟の個室に移ってからも毎日レントゲン撮影をされて、寝たきりだったので肺がつぶれ担当医師が痛がる私にかまわずベットを直角近くまでにして・・
24時間家族や姉弟が付き添ってくれ、絶食だった私の横で悪そうにケーキを食べている姉の言葉や姿が思い出されます。
いつ逝ってもおかしくなかったのに、こうしてブログを毎日かけて何人もブログ友が出来て感謝してます。

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