家に帰ってきた義父はセレモニーホールの人によって寝ていたお布団に寝かされました。
姉と義母の実家の方がご夫婦で来られました。
あの日は亡くなったことを知った村の人や親戚の方がおくやみに次々と来られ、姉と一緒にお茶を出してくれました。
午前8時から「枕経」をあげて頂く。
家にいた皆一緒に。
午後7時から仮通夜のお経が・・
村の人や家にいた皆も一緒に。
お参りしてくれた人達が帰ったのは午後11頃で義母もベットに・・
ダンナさんと上の子が交代でお線香やろうそくの日を絶やさない為に起きていることにして、私も寝ました。
午前1時過ぎに「義母の様子が変だ」と上の子がダンナさんと私を起こし救急車で病院へ、ダンナさんが付き添い下の子が車で・・
私と上の子が残って連絡を待っているとすぐ電話がかかってきて「(義母が飲んでいる)薬を持ってきて」と。
私1人ではお線香を替えられないのでお母さんに電話でお願いすると息子さんと一緒に来てくれました。
3時半頃ダンナさんから「簡単な検査の結果は異常ないから帰る」と。
お母さんには帰ってもらい、ダンナさんや子供達も帰ってきました。
「原因は血圧が下がり過ぎた為だが原因がはっきりしないので入院した」と。
ダンナさんは葬儀の準備があるので息子さんは残ってくれ私はソファーに横になりましたが寝られませんでした。
義母は精密な検査でも異常はなく、ほっとしましたが暫く入院することになり・・葬儀に出られない義母のことを思うと何ともいえない気持ちになりましたが仕方がありません。
午後4時から納棺の予定でした。義父には2人の姉妹が生き残っていて1人は高齢で足が悪いので来られず下の方が少し前に来られ「納棺に間に合った」と嬉しそうでした。
4時からお経をあげてもらいながら義父はお棺の中へ、杖や好きだったお菓子・写経したものは一緒に入れて貰いましたがコーヒーや果物は葬儀の朝に。
「南無妙法蓮華経」のお題目を村の人が唱えるなかを長年住んでいた家を後に義父はセレモニーホールへ・・
残された家族、親戚の方も後で行きました。
本通夜は7時から始まりお寺さんと2人の同師様で行われました。
私は歩き難かったけどダンナさんや子供達に支えられて転ばずに。
終わってから村の方と親戚の方に御斎(おとき)を食べて頂いて・・
私も食事制限は無しにして。
その晩はセレモニーホールで家族や親戚の方と泊まりましたがやっぱり2~3時間しか寝られませんでしたが男の人はお酒を飲んでぐっすり寝ていたようです。
朝7時から他の人が寝ているので小さな小さな声でお経をあげました。
義父は聞いてくれたと思ってます。
(葬儀に出られなかった義母の為に撮った写真のうちの1枚、早朝だったので義父のお棺はありません)
10時から葬儀がお寺さんと4人の同師様、耽読をお願いした6人で行われました。
この時もダンナさんや子供達に支えられて転ばずにすみました。
1時間半弱で終わり○○市営△斎場へ・・セレモニーホールは隣接して立ってるので歩いても3分程ですが義父とダンナさん、私と上の子が霊柩車に乗って。お参りされた方は高齢な方も多かったのでマイクロバスで移動しました。
斎場で義父の最後の顔を見て・・
1時間以上かかってお骨に・・
箸を持って食べられないけどお骨は骨壺に入れられました。
お母さんは義父がよく働き元気だったので太い足のお骨を入れたかったので「他の人が入れるか心配したけど残っていて入れられた」と喜んでました。
ダンナさんは小さな小さなお骨まで全て2つの骨壺と1つの箱に入れて。
別の部屋でお骨になった義父へお経をあげてもらいました。
耽読を読んで頂いた同師様は2時から用事があるのにその時間を過ぎてもお経をあげて下さり・・
セレモニーホールへ戻り中陰を・・数も不足することもなくて。
私は睡眠時間が2~3時間の日が続いたためか途中で熱っぽく感じ廊下で休んでましたが吐き気がし始めたので控え室に連れていって貰い横になって休みました。
お見送りが出来なかったのは残念でしたが途中で転んだりもせずに義父を送れて・・
ダンナさんからは「ご苦労さんだった」と言われて良かったです。
家に帰り義父のお骨を床の間に置き祭壇にはお線香やろうそくなどを・・
(勝手ですがコメント欄を「許可しない」にさせて頂きました)