バルセロナオリンピック柔道金メダリストの古賀選手の経験した出来事。
ソウルオリンピックで優勝候補の筆頭にあげられながらも、三回戦で敗退し、敗者復活戦にも出られず、メダルなしに終わってしまう。
「今なら笑って言えるが、二十歳の私にはショックだった。誰も信用出来ないという気持ちからしばらくは人を警戒するようになっていたと思う。
しかし一番ショックだったのは、帰ってきてから観たビデオ放送である。
ソウル五輪の柔道会場で私がテナーゼ選手に負けた瞬間、観客席の両親が映った。
そのとき、両親は周りの人たちに謝るように頭を下げていたのだ。二人の気持ちを思うと旨の潰れる思いがした。
戦っていたのは私だけではない。
両親も観客席で私と同じように戦っていたのだ。
しかし、こんな親の姿は二度とみたくなかった。
周りの人たちに祝福され、喜んでいる姿を見たい。
そう思ったときに、帰国直後からの鬱屈した気持ちは消えていた。」
ソウルオリンピックで優勝候補の筆頭にあげられながらも、三回戦で敗退し、敗者復活戦にも出られず、メダルなしに終わってしまう。
「今なら笑って言えるが、二十歳の私にはショックだった。誰も信用出来ないという気持ちからしばらくは人を警戒するようになっていたと思う。
しかし一番ショックだったのは、帰ってきてから観たビデオ放送である。
ソウル五輪の柔道会場で私がテナーゼ選手に負けた瞬間、観客席の両親が映った。
そのとき、両親は周りの人たちに謝るように頭を下げていたのだ。二人の気持ちを思うと旨の潰れる思いがした。
戦っていたのは私だけではない。
両親も観客席で私と同じように戦っていたのだ。
しかし、こんな親の姿は二度とみたくなかった。
周りの人たちに祝福され、喜んでいる姿を見たい。
そう思ったときに、帰国直後からの鬱屈した気持ちは消えていた。」