昨夜、アッパ君と何気なしにテレビを見ていたら、震災特集をやっていた。
アッパ君は、毎年、震災の時期が来ると、震災当時の話をする。
昨夜もしかり、テレビを見ながら淡々と体験を語っていた。
私は、隣の市に住んでいたので、被害は少なかった。
だから、そういう時は、ただ黙って、アッパ君の話を聞く。
今日、会社で、昨夜の話をすると、奥さんも、何かのスイッチが入ったかのように、早口で当時の話を始めた。
この地域では、誰もが自分の「被災体験」を持っていて、お近づきになったら、まず、しゃべるのは、被災体験だ。
それは、あたかも、ママサークルに参加すると、初めに、各々が自分の出産体験を話すのに似ている。
※私がここで言っているのは、あくまでも、身内や知り合いが犠牲になった…という重度の被災ではなく、今では笑って話せる程度の「被災」である。
神戸では、昔の話をする時、震災が基準になる。
「待ってよ、あれは確か、まだ震災前やったから…」
とか、
「いや、あれができたんは、震災後やろ。」
とか、
神戸の人たちには、神戸だけの時間が流れているような気がする。
震災は、神戸から、ありとあらゆるものを奪っていったし、自然の前で、人は無力だった。
だから、
震災のことを忘れたがっている人もいる。
震災のことを忘れたらいけないという人もいる。
私とアッパ君は、震災後に出会い、震災を知らない子ども達が生まれた。
私の大好きな街、神戸。
見た目は、きれいになりつつあるけど、「震災」は、いつも私たちのそばにいる。
アッパ君の「被災体験」、次は子供たちにも聞かせてあげよう
アッパ君は、毎年、震災の時期が来ると、震災当時の話をする。
昨夜もしかり、テレビを見ながら淡々と体験を語っていた。
私は、隣の市に住んでいたので、被害は少なかった。
だから、そういう時は、ただ黙って、アッパ君の話を聞く。
今日、会社で、昨夜の話をすると、奥さんも、何かのスイッチが入ったかのように、早口で当時の話を始めた。
この地域では、誰もが自分の「被災体験」を持っていて、お近づきになったら、まず、しゃべるのは、被災体験だ。
それは、あたかも、ママサークルに参加すると、初めに、各々が自分の出産体験を話すのに似ている。
※私がここで言っているのは、あくまでも、身内や知り合いが犠牲になった…という重度の被災ではなく、今では笑って話せる程度の「被災」である。
神戸では、昔の話をする時、震災が基準になる。
「待ってよ、あれは確か、まだ震災前やったから…」
とか、
「いや、あれができたんは、震災後やろ。」
とか、
神戸の人たちには、神戸だけの時間が流れているような気がする。
震災は、神戸から、ありとあらゆるものを奪っていったし、自然の前で、人は無力だった。
だから、
震災のことを忘れたがっている人もいる。
震災のことを忘れたらいけないという人もいる。
私とアッパ君は、震災後に出会い、震災を知らない子ども達が生まれた。
私の大好きな街、神戸。
見た目は、きれいになりつつあるけど、「震災」は、いつも私たちのそばにいる。
アッパ君の「被災体験」、次は子供たちにも聞かせてあげよう
受けた人には、大きな記憶に残っているよね。
それって受けた人にしか分からない。
貴重な体験だと思う。
神戸の震災・・・私もショックでした。
私は神戸からはるか遠くに住んでいますが、結婚前はちょくちょく神戸に遊びに行っていました。
私にとって神戸は思い出も思い入れもある街です。
当時子供が生まれたばかりで、朝なにげにつけたテレビに映った光景を見て愕然としました。
神戸には友達も多かったし・・・
幸いにも私の友達は全員無事でした。
神戸の街も元気になったと思っていたけれど・・・やっぱり当事者にしかわからない想いってあるんですね。
私の住む地域も地震多発地帯・・・ちょっと心配です。
友達の奥さんがやっぱり神戸在住で震災経験者。
結婚式で、父親と連絡が取れず、家族で泣いた思い出の話を聞いた時には身に詰まされました。
まぁ、父親は無事だったという喜びで結ばれたから良かったですけど
あの日はやっぱり朝方、仕事から帰ってきて起きてる時でした。
静岡にいた自分でも気持ち悪いくらいに揺れたのを覚えてます。
そういうのは震災を知らない世代にも教えてあげるべきですよね~。
いつかは「そんな昔の事・・・」なんて他人事のように言われてしまう時代がくるでしょうが、
その話が語り継がれる事は、きっとプラスになりますものね。
静岡では地震がいつ来てもおかしくないという地質上、
県民も地震対策はバッチリやってるってつもりでしたけど
神戸の震災で、実は静岡も災害意識があんまり大した事がないって痛感したはずです。
神戸だけではなく、他の地域の人にも重大な教訓となった出来事でしたね
そうですね。本当に貴重な体験ですね。
余談ですが、うちの姑は、震災があった日、温泉旅行に行っていて、一人無事だったんです。
本人は、「三宮から帰ってくるの1日かかったわ」
と、「被災体験」を披露してましたが、家は、結構ヒドい状態だったので、悪運が強いとしか思えませんでした。
これも、ある意味「貴重な体験」です…。
ごん様。
ありがとうございます。
お友達、全員無事で何よりだったね。
私も、大学時代の全国にいる同級生が、皆で集めた義援金を送ってきてくれた時は、号泣しました。
友達って、ほんと、かけがえのない大事な財産だね。
けんた様。
静岡も揺れてたんですか?
それはスゴイ!
神戸は絶対来ないって、みんな根拠のない自信持ってたからね~。
でも、戦争体験を語るじいちゃんばあちゃんのように、孫に語り継ぐ日が来るんだろうなぁ。