博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

城跡

2006年05月24日 | 歴史
 城跡そのものは山上の狭い面積に、柱の跡などが残っています。約10年程前から発掘調査が行われて、水や米を貯蔵した大型の甕が発掘されています。甕や陶器の食器などは麓の一向一揆博物館に展示されています。
 この地域の人々は、なぜそんな城まで築いて自治と信仰を守ろうとしたのでしょうか。この城に最後まで立て篭もった山内衆の人々は、結局織田配下の軍勢に制圧され、数百人の人々が処刑されてしまい悲惨な最期を遂げます。

 博物館では一向宗(浄土真宗)が地域の人々の心を捉えていった過程を解説するVTRなどが映写されていました。それによると一向宗のお坊さん達(布教者)は「報恩講」などの教えを伝える場に人々を組織化していったそうです。そういう様子を見ると冬など雪深い山里では、説教の場が一種の娯楽の場であったということが良く分かります。他に娯楽の無い山里の人々にとってそれは本当に楽しみの時間だったようです。
 ある意味では、昔の一向宗のお坊さん達は、現代のクラブやディスコなどのDJのような存在だったとも言えるかもしれません。

 

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2 コメント

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Unknown (親鸞の涙)
2006-05-27 21:57:41
しかし、クラブやディスコのような存在の為に命を懸けるのも納得のいくものではありません。

今以上に、昔は「信仰」を、「命そのもの」と捉えていたのだと思います。
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Unknown (能美通信)
2006-05-28 03:22:51
親鸞の涙さん、ようこそ!

 確かに単なる娯楽に人々は命を懸けたりはしなかっただろうと私も思います。そういう意味でこの比喩は適切ではなかったかもしれません。ただ「楽しみ」を共有する時間が人々に連帯感を育んでいったのではないかとも思います。
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