博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

日本の20年から30年

2008年08月16日 | 時事
 戦後20年から30年は私の子ども時代でした。その当時、戦争の跡は探すと見つかるという程度でした。例えば防空壕の跡というのものがまだ結構あったと記憶しています。埼玉の私の実家から2キロ程の所に、台地と平地の境い目の崖があって、そこに防空壕跡がいくつかありました。入り口は崩落の危険があるので木の柵で塞がれていました。なかには補強して物置に使っていた所もありました。実はそれらが本当に防空壕跡だったのか確信は無いのですが、友人間では防空壕跡とされていました。
 そのほか、私の実家の近所には大きな神社があって、そこの参道沿いに延々とバラックが続いていました。戦争中、地方に疎開していた人々が戻ってきて、ありあわせの材料で建てた家だったということです。全て平屋で天井が低く、中には家の中に木が生えている家もありました。天井と屋根に丸く穴を開けて生きた樹木が生えていました。その中には私が良く行く古本屋がありました。文庫本が50円とか100円で買えるので良く行っていました。これらのバラック群は、昭和62年頃まで残っていましたが、今は跡形も無くなり、緑地公園になっています。上記の事情を知ったのは80年代前半にビッグコミックスピリッツで連載されていた「軽井沢シンドローム」という漫画の中で登場人物のせりふから知ったのですが、ソースがソースだけに信憑性の程は保証しかねます。

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