博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

悲しいルナ15号

2008年05月26日 | 宇宙開発・天文
(昨日の続き)
 旧ソ連は、1969年の段階で月への有人宇宙船を打ち上げる大型ロケットN1の開発に失敗していて、有人月着陸の競争でアメリカに負けることははっきりしていました。それでも余程悔しかったのでしょう。アポロ11号の打ち上げとほぼ同時に無人月面着陸・サンプル採取・地球帰還探査機ルナ15号の打ち上げを敢行していました。アポロ11号の打ち上げよりも3日早い、1969年7月13日にルナ15号は打ち上げられました。予定通りうまくいけば、アポロ11号よりも早く、ルナ15号は月の石を地球に持ち帰ることに成功したかもしれません。ソ連は「アポロの100分の一の費用で安く、人命を危険にさらすことなく、早く世界初の月の石の採取に」成功したと発表できたことでしょう。そうなれば少しはソ連も面目が保てたわけです。しかし残念ながらルナ15号の月着陸機は、アポロ11号の着陸成功の23時間後、アームストロング船長らが地球への帰還を開始する直前に月面の「危機の海」に激突し壊れてしまいました。高度を読み誤ったらしいのです。ソ連の試みはただの悪あがきになってしまい、ついでに世界の注目はアポロ11号に集中し完全に忘れられてしまいました。

 しかし・・・一時はアポロ11号とルナ15号の軌道が近接し衝突するのではないかという心配までされたのです。言い換えればソ連は無人探査機でアポロを追跡する能力を持っていたわけでこれは侮れない能力です。それだけの力をもったソ連を騙しとおすことなど可能でしょうか。まあ無理でしょう。
 後日談ですが、後継のルナ16号は1970年9月20日、月の「豊かの海」に軟着陸に成功し、月の石の標本を採取後、9月24日地球へ無事に帰還することに成功しました。(写真はルナ16号、左側のアームの先端についている長い円筒が月の石の採取機:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)たった101グラム(ルナ計画全ての総計でもアポロが持ち帰った月の石のたった千分の一)でしたが、とにもかくにもアポロ11号に約1年遅れで月の石の無人採取に成功しました。アポロの功績に隠されて余り知られていませんが、これはこれで、たいへん高度な技術だったと言えましょう。

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