羽花山人日記

徒然なるままに

ヘニング・マンケル

2021-05-22 17:39:03 | 日記

北欧ミステリー界の帝王とも巨星ともいわれるヘニング・マンケル(1948-2015)の人気作,クルト・ヴァランダーシリーズの終結編,『苦悩する男 上・下』(柳沢由美子訳,創元推理文庫)が,ようやく昨年8月に翻訳・出版された。早く読みたかったのだが,ぐずぐずしていてやっと先日読み終わった。

ヘニング・マンケルを知ったのは,町の図書館でたまたま見かけた『流砂』(柳沢由美子訳,東京創元社,2016年)というエッセイ集でであった。癌の告知を受け,死期の近いことを知って書き綴った67編の文章は私の心の琴線を揺さぶった。同書でマンケルが世界的に有名な推理作家であることを知り,彼の『北京から来た男』(柳沢由美子訳,創元推理文庫)が同じ図書館にあったので,借りて読んですっかり魅せられ,以降その著昨を追っかけることになった。

ヴァランダーシリーズは11作からなる。主人公のクルト・ヴァランダーはスウェーデン,イースター署の警部であり,決して切れ者ではなく短気だが,部下からの信頼が厚く,粘り強く事件を解決してゆく。小説はヴァランダーの目で見た風景や出来事と,その心への反映として書かれている。父,元妻,娘,恋する女性との関係の記述が,主人公に厚みを増している。北欧のミステリー作品に共通する北国の陰鬱ともいえる背景の描写が,わたしは好きである。

マンケルは劇作家であり演出家である。特にアフリカでの演劇活動に力を入れていた,国際人でもある。そのためか,田舎の警察署におけるヴァランダーの捜査に国際的な事件を絡ませ,作品のスケールを大きくしている。『白い雌ライオン』では南アのネルソン・マンデラ暗殺事件が,『ファイアウォール』では国際的な金融システムが作品の柱になっている。また,『苦悩する男』では,東西冷戦時代の情報合戦が事件の鍵になっている。政治や外交には関心がないヴァランダーがこうした事件に挑む姿が巧みに描かれている。

ある女流作家が,作者は作品の主人公に恋をしている,と述べているのを見たことがある。インタビューでヴァランダーという人物をどう思うかと問われたマンケルは,「友達にはなりたくないね。」と答えていた。しかし,作者は主人公に並々ならぬ愛着を持っていたように思える。完結編の『苦悩する男』で,作者は,ヴァランダーの最愛の人バイバとの再会と哀しい別れを描き,定年を前にしてアルツハイマー病に冒されていく主人公をきれいにフェイドアウトさせている。

訳者の柳沢由美子さんはストックホルム大学のスウェーデン語科を修了していて,北欧作家の作品の多くがドイツ語などへの翻訳からの二重翻訳であるのに対し,マンケルの作品は原文のスウェーデン語から訳されている。大変読みやすい訳文である。現在,マンケル最後のミステリー,『手』を翻訳中とのことで,出版が待たれる。

コメント (3)
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