地区センターの職員の方が学校に見えられ、一冊の本を置いていかれた。
発行元より「地域の学校に寄贈してくれ」と依頼されたとのことである。
『ヤスコサンバの話っこ』と題されたその冊子は、この地区在住の高橋ヤスさんのお話を秋田市の小西一三さんが聞き書きの形で文章化したものである。100ページ近くあり装丁も丁寧なりっぱなものである。
高橋ヤスさんには、昨年の春から夏まで週1回程度のペースで学校に来ていただき、昔語りなどを聞かせていただいた。それ以外にも校長室でずいぶんと様々なお話を聞くことができた。
地区の助産婦として「千人位」は赤ん坊を取り上げたヤスさんからは、私の知らない「昭和」の話もずいぶんと聞かせていただいた。夏に入って体調を崩されたので、それ以来お目にかかっていないが、こういう形で「再会」できたことは何より嬉しい。
仕事の手を休め、思わず読み入ってしまった。
昭和20年に帰郷し、産婆としての道を歩き始めたヤスさんだが、仕事に関わることだけでなく、それ以前のことも実に味わい深いエピソードに彩られている。姉妹の子守で十分に学校に通えなくても、本が好きで勉強が好きなヤスさんが、人とのめぐり会いを大切にしながら自分の目指す道をしっかり歩んだことに、この世代の女性の持ちえる強さをひしひしと感じる。
また、お産という重要な舞台に幾度も立ち会ったことによって、生きることの本質を数多く汲み取ってきたのではないか。
貧乏で電気も止められ、ローソクの明かりで自ら赤ん坊を取り上げたある父親がいた。出生届けをヤスさんに依頼しにくる。民生委員でもあったヤスさんは生活保護を進めるが、父親は首を縦にふらない。
「俺の責任でなんとか食わせていくから」
そうした強さは「時代が違う」という一言で片付けられないものだ。
ヤスさんのお父さんのエピソードにも、思わず目頭を熱くさせられた。
ヤスさんは「本当の親だろうかと思うほど、厳しい父だった」と書いている。しかし同時に「学用品には不自由させず」「人手不足のなか、東京に行きたいといった時も快くだしてくれた」とも記している。ホームシックにかかって、泣き言の手紙を出したら、母親はたどたどしい字で、こう書いたという。
「父は村の人に『娘は必ず一人前の産婆になって帰ってくる』と言って歩いている」
本当の優しさとは、厳しさとは何か…親子の情愛の形がくっきりと表われている。
この冊子は、地方の辺地に生きた一人の女性の記録として、実に価値があると思う。
おそらくヤスさん以外にも全国にそうした人生を歩まれた方は点在するかもしれない。しかし自らを語ることには不得手な世代とも言えるだろうし、本好き、ことば好きのヤスさんが、その方々の代表として語ってくれたという見方もできる。
詳しい経緯は不明だが、小西一三さんらは「非売品」としてこの冊子を作られたようだ。
その仕事と志の高さにも、深く敬意を表したい。
名づけられたサブタイトルは実に重みのあるいい表現だ。
歩いた歩いた産婆人生
発行元より「地域の学校に寄贈してくれ」と依頼されたとのことである。
『ヤスコサンバの話っこ』と題されたその冊子は、この地区在住の高橋ヤスさんのお話を秋田市の小西一三さんが聞き書きの形で文章化したものである。100ページ近くあり装丁も丁寧なりっぱなものである。
高橋ヤスさんには、昨年の春から夏まで週1回程度のペースで学校に来ていただき、昔語りなどを聞かせていただいた。それ以外にも校長室でずいぶんと様々なお話を聞くことができた。
地区の助産婦として「千人位」は赤ん坊を取り上げたヤスさんからは、私の知らない「昭和」の話もずいぶんと聞かせていただいた。夏に入って体調を崩されたので、それ以来お目にかかっていないが、こういう形で「再会」できたことは何より嬉しい。
仕事の手を休め、思わず読み入ってしまった。
昭和20年に帰郷し、産婆としての道を歩き始めたヤスさんだが、仕事に関わることだけでなく、それ以前のことも実に味わい深いエピソードに彩られている。姉妹の子守で十分に学校に通えなくても、本が好きで勉強が好きなヤスさんが、人とのめぐり会いを大切にしながら自分の目指す道をしっかり歩んだことに、この世代の女性の持ちえる強さをひしひしと感じる。
また、お産という重要な舞台に幾度も立ち会ったことによって、生きることの本質を数多く汲み取ってきたのではないか。
貧乏で電気も止められ、ローソクの明かりで自ら赤ん坊を取り上げたある父親がいた。出生届けをヤスさんに依頼しにくる。民生委員でもあったヤスさんは生活保護を進めるが、父親は首を縦にふらない。
「俺の責任でなんとか食わせていくから」
そうした強さは「時代が違う」という一言で片付けられないものだ。
ヤスさんのお父さんのエピソードにも、思わず目頭を熱くさせられた。
ヤスさんは「本当の親だろうかと思うほど、厳しい父だった」と書いている。しかし同時に「学用品には不自由させず」「人手不足のなか、東京に行きたいといった時も快くだしてくれた」とも記している。ホームシックにかかって、泣き言の手紙を出したら、母親はたどたどしい字で、こう書いたという。
「父は村の人に『娘は必ず一人前の産婆になって帰ってくる』と言って歩いている」
本当の優しさとは、厳しさとは何か…親子の情愛の形がくっきりと表われている。
この冊子は、地方の辺地に生きた一人の女性の記録として、実に価値があると思う。
おそらくヤスさん以外にも全国にそうした人生を歩まれた方は点在するかもしれない。しかし自らを語ることには不得手な世代とも言えるだろうし、本好き、ことば好きのヤスさんが、その方々の代表として語ってくれたという見方もできる。
詳しい経緯は不明だが、小西一三さんらは「非売品」としてこの冊子を作られたようだ。
その仕事と志の高さにも、深く敬意を表したい。
名づけられたサブタイトルは実に重みのあるいい表現だ。
歩いた歩いた産婆人生
先日は、小西一三さんにご来訪いただきましてお話をうかがうことができて楽しかったです。ヤスさんのお話が広がっていくことを、応援しています。