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「意味」と「意義」はちがう

2022年02月05日 | 読書
 この精神科医の書く本はいつも刺激的だ。今回も思わずページをめくる手が止まったことが何度かあった。

『仕事なんか生きがいにするな』(泉谷閑示 幻冬舎新書)


 書名は内容を端的に表わすと言えるが、読者を惹きつけるねらいもあるだろうし、オーバーではないかと予想できる。読了後そう指摘してもいいと思った。しかし「仕事」を「労働」と読み替えれば、これはまさにその通り、ずばり核心をつく。そして副題の「生きる意味を再び考える」は、「意味」とは何かを問う。



 小さい頃によく使ったフレーズとして「意味ない」がある。「意味ないじゃん」や「意味ねえし」など今でも時々耳にする。この著を読み、そのことが浮かんできた。「『意味』と『意義』の取り違え」という著者の指摘に頷く。「意味ない」のような言い回しは、実は「有意義かどうか」を問うている場合が全てだ。


 現代における人間性の喪失は、著者が語るところの「儲かるとか役に立つとかいった『意義』や『価値』をひたすら追求する『資本主義の精神のエートス(※性格や慣習等)』」によってもたらされていることは否定できない。そして模索すべきは「『意味』が感じられるような生き方」と言う。意味という語は深い。


 辞書では解決できないが、この語に「」が入っている意味(笑)は本当に素晴らしい。つまり、生きる意味とは生活を「味わう」ことに他ならないのではないか。具体的には「働く」というテーマは避けて通れない。引用されているユダヤ人の哲学者アレントの文章「活動的生活」の分類は、それを考える視点になる。


 要約すれば、「労働」は生命や生活を維持するための作業、「仕事」は永続性のある何か、道具や作品等を生み出す行為、そして「活動」は社会形成に関わる働きかけや芸術等表現行為を指している。この階層づけが人間らしい営みと重なることはわかるだろう。そして、社会の進展はこの階層を転倒させてしまった。


 つまり大量生産が分業化を促し、本来「仕事」の持っていた作品的要素を奪い取り、「労働」によって製品化し消費されていく世界が進行した。人は「労働する動物」に成り下がったという。職業として教育の場にしか携わらなかった自分だが、この質的な変化の進行は、40年のキャリアで数多く感じ取った。
 つづく


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