すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

閉じれば豊かさは見えてこない

2024年08月08日 | 読書
 この本の存在は知らなかった。Re64『映画を撮りながら考えた』(是枝裕和 ミシマ社)。映画ファンとは言えないが、是枝作品にはシンパシーを感じる。主として台詞に表れる人間性の発露に心が響くのだと思う。読み進めて、TVドキュメンタリー制作を手掛けながら研ぎ澄まされてきた感覚が支えていると感じた。


 ドキュメンタリーというと、「やらせ」の問題がついてまわるが、そうした事例も含めながら、なるほどと思った記述がある。そしてそれは創造的な仕事に関わる者であれば、共通する要素があるのではないかと思った。先に見えない社会と言われて久しい。日々の暮らしに向かう時にあって、ふと思い起こしたい警句だ。

 「真面目な社会告発型ドキュメンタリーだろうが、撮る前からあり得べき理想が確固としてつくり手のなかに存在し、そこへ精神が閉じてしまえば、目指す志のいかんを問わず『やらせ』だと思います。」





 春頃に放送された『花よりもなほ』を録ってあったので、読書の合間に視聴した。元禄の忠臣蔵の時代に、一人の「仇討しない武士」を描いた劇映画である。是枝は、志ん朝と談志の落語を例として出し解説してあり興味深い。「フィクションは陶酔を、ドキュメンタリーは覚醒を(略)引き起こす」という分析も面白い。


 そしてその映画は陶酔を目指したが覚醒に留まってしまったと自己評価する。確かに迷いがあった分だけインパクトの強さは感じられなかった。しかし、いつの時代にあっても喧しい「生きる意味を問う」論は、是枝が『花よりもなほ』の脚本第1稿に残したコメントのこの言葉を通して解釈することができると信じる。

 「意味のある死より、意味のない豊かな生を発見する」