すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

パワー全開で言語感覚に迫る

2007年06月27日 | 教育ノート
 月に1回ある音読集会も3回目となった。さすがに継続は力なりで、当初と比べるとぐんと迫力があるものになった。
 とにかく始めてみようと取り組んだものだが、やりだすといろいろな要求も顔をのぞかせる。しかし、それはその「欲」は子どもたちを高みに連れていくと思う。またそう信じて実行することが大切だ。


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 縷述「つながる授業」18

 6月の音読集会の感想から今後の展望を少し記します。同じ設定だった4月の集会と比べてみて、明らかに良くなっているなあと思うところがいくつかあります。

 ○全体的な声のボリュームがでてきた
 ○形態や速さに工夫を取り入れた発表があった
 ○同じ詩を扱っていたこともあるのか、集中した聞き方になっていた

 とにかく子どもたち全体が「声を出す」ことに慣れてきたように思います。斉読のパワーが強く感じられる学級もありますし、分担読みの楽しさが伝わってくる発表もありました。毎日の継続に支えられて、まずは順調に成果が上がっているように思います。

 次のステップを既に構想中の先生もいるでしょうが、まずは今日の発表から感じたことを確認し、学級の実態に合わせながら課題設定していただけるとありがたいです。

 □声のばらつきが感じられる→滑舌や発声に差がでている
 □「暗唱」も一つの目的だが、「表現(声を届ける)」が大きな目標。そのために読み方の工夫をどうしていくか、もっとバリェーションがあっていい
 □視線や姿勢についての意識も必要になってくるだろう
 □発表・感想形式にひと工夫あってもよくないか→「聴き所ポイント」発表、発表即感想等

 司会の声や感想の声などとのギャップも確かに感じますが、ダイレクトに結びつくものではないはずです。集団の声から個の声へのステップ、読みの声から考え、思いの声へのステップなど細かい段階も必要になってくるはずです。

 私たちが取り組んでいる音読・暗唱などが「力」のあるものだと言う論は、浸透しつつある考えのようにも思います。つい先日も思想家として名高い内田樹氏(神戸女学院大教授)が書いている文章を見つけ、励まされましたので、ごく一部を紹介します。

 名文には名文にしかないパワーがある。それに直接触れるだけで読み手の中の言語的な深層構造が揺り動かされ、震え、熟してくる。そして、論理的思考も、美的感動も、対話も、独創的なアイディアも、この震えるような言語感覚ぬきには存立しえないのである。
(6/27)
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