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頼りに足る直感とは

2019年06月23日 | 雑記帳
 先日、高校生のスピーチコンテストを見学した。その中で一人の子が「将来のことはまだ決まっていません。」と言ったあとに、こう続けた。「仕事はチョッカン(おそらく直感)で決めたいと思います。」こんなふうに語った子を見たことはほとんどない。発表後、コメントを寄せた教師や関係者もそれに触れていた。


 認めつつも「直感で決めてもいいが、職業選択にはまた別の観点もあるよ」というアドバイスだった。妥当だなと感じつつも、私にはその子に対して尋ねてみたい別の事があった。部外者であるので、呑み込んだ質問はこうだ。「あなたが自分の直感を信ずるとすれば、かつてそのようにして成功体験があったのですか


 もしかしたら競技での勝利体験や、何かの選択を迫られたときの偶然性が彼女にはあるかもしれない。しかし悪いけれど、何かの雑誌で見た誰かの発言に影響されたとも予想される。よくあることだ。ただ、そんな一言をこうした場で堂々と言い放つ雰囲気が出来つつあることに、良くも悪くも変化の兆しを感じる。


 従来であるならば「積み重ねて」「いろいろ体験し、検討して」といった方向性から外れることはほとんどなかった。現在もそれが主流だろうが、実際には様々な選択を迫られる場で、身につけた学習の効力感が薄いのだろうか。そのなかで自分の感覚を信じるという意味での直感は、いい響きを持つし、頼りたくなる。


 しかし、頼りに足る直感とは一朝一夕に身につくものか。個体差はあるからそれで突き進む者もいる。ただ多くは様々な場面で成功・失敗、歓喜・消沈等を繰り返し脳内に構造化?されるのではないか。また「直観」力であれば多量の読書・経験によって鍛えられることは言うまでもない。意識化のレベルが問われる。