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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

トラを迎える心の準備

2022年01月16日 | 絵本
 去年のうし年は内田麟太郎の『うし』、一昨年はねずみ年だったので『リンドバーグ 小さなねずみの大冒険』を、干支にちなんで読み聞かせる機会があった。今年のとらは、あまりないだろうと真面目に探しもしなかったが、偶然、孫用に借りていた絵本を見つけ、読んでみたらなかなかいいムードのある一冊だった。


『おちゃのじかんに きた とら』
 (ジュディス・カー作 晴海耕平・訳 童話館) 



 ソフィーというちいさな女の子とお母さんが、台所でお茶の時間を楽しもうとした時に玄関のベルがなり、ドアをあけてみるとそこにいたのは、毛むくじゃらでしまもようのとら。お腹が空いているので一緒にお茶させてくれと言う。お母さんは快く招き入れ、サンドイッチをすすめると、とらは一口で呑み込んで…


 その後、家中のありとあらゆる食べ物、飲み物をたいらげて帰ってしまう。ちょうどそこへ帰ってきたお父さんはその話を聞き…という展開である。もちろん、とらは恐怖の対象にはなっておらず、次から次へと食べるに従って、ソフィーと親密さを深めていくような絵が描かれている。ファミリーファンタジーかな。


 外国に干支は関係ないが、とら(tiger)は何かを象徴しているのだろうか。この異色の訪問者は、家族の歓待?をうけて、結果的には家族に幸せをもたらす存在になった。家族が再訪を望む行動を見せるが、結局二度とは現れないというエンディングだ。こんな終わり方をする外国童話など、結構多い気がしている。


 拡大解釈してみれば、様々な環境にある者を素直に受け入れ、温かく見守りなさい。その行為は福音をもたらすでしょう…といった宗教的なイメージにつながる。また、アクシデントを乗り越えるハッピーさという見方もできる。「とらが、いつまたおちゃのじかんにきてもいいように」…せめて、心の準備はしたい。

幅を広げて、深く掘る

2021年12月24日 | 絵本
 今週火曜日で今年の学校読み聞かせは終了した。メモを見直すとおよそ50冊程度(当然、複数回もあるので40タイトル)だった。本格的に始めて三年目、いくらか上達しているように感じる。今年はコロナ等で中止もありつつ、高校生相手にも出来たし、先日PTAでの親子という対象もあり、少し幅が拡がった


 大勢を相手にする時に大型TVにつないで行う形を取り入れたことが、一つの変化だ。ノートPCでは文字が小さく読み取れない場合があり、片手に本を持ちPC操作するので慣れが必要だ。しかし、40人を超す集団には概ね好評だと思っている。もちろん中には実物でないと訴えない本もあるので、選書には注意だ。



 昨年から取り上げた講談絵本。「宮本武蔵」から始め手元には6タイトルを揃えたが、他に「大岡越前」「西行」を読んだのみとなった。残った3冊はどういったタイミングでできるか思案している。取り上げるねらいは演芸文化に触れる点もあり、自らの声をどう磨くかがポイントだ。高齢者にはいい脳活かもしれない。


 印象に残った絵本をいくつか挙げると、まず『カ、どこへいった』。ページめくりで蚊を追っていくパターン。とても楽しい。『おおかみのおなかのなかで』のとぼけた味もいい。M・バーネットとJ・クラッセンのコンビのよさを感じた。猫の作家町田尚子も印象深い。『ねこはるすばん』の描写力は大きく見せて効果的。


 読み聞かせとしては大作、難作に思えた『二番目の悪者』。時々こうした歯ごたえのある作品に挑むことは必要だ。でないと安易な音読に留まってしまう。怪談絵本は二つ読んだが、実は一番読み込んだ『おめん』が、学校の都合により中止の回に準備したものだった。かなり心をえぐる内容なので結構勇気(笑)がいる。

幸せはもみの木に

2021年12月10日 | 絵本
 図書館イベントはクリスマスシーズンなので、その時季にふさわしい絵本を選ぶ。複数行うが、私の担当は「絵本クイズ」なので、時間制限もあり5分ほどで読める話はないか、クイズにできそうかが選書のポイントだ。題名にふさわしく小さな体裁の一冊を見つけた。サンタクロースや子どもが主人公ではないが…。


『ちいさなもみのき』
 (F・ムニエ作 D・エノン絵  ほるぷ出版) 




 丘で育った「ちいさなちいさなもみのき」が主人公。遠くに見える森に憧れていた。ある日、他のもみの木とともに、デパートの前でツリーとして売りにだされるが、さすがに小さく最後まで売れ残る。おじいさんとおばあさんに「すてきなもみの木」と買われていき、二人の家で飾りをつけられクリスマスを彩る。


 クリスマスが過ぎて、他の家のもみの木が捨てられていくなか、ちいさなもみのきは、おじいさんとおばあさんに裏口から外に出される。そこはなんと、丘に居たときに憧れていた高いもみの木たちの森だった。そこに植えつけられるちいさなもみのき…。なんと、ハッピーエンドなハートウォーミングな世界だろう。


 ここには「幸せ」のエッセンスが詰まっている。小さい大きいという見かけで何か決まるわけではないこと。年老いても二人でクリスマスを楽しむ暮らし。行先がどんなふうであればいい生き方なのか。場面ごとに掘り下げてみれば考えさせられる。むろん、絵本の世界に読み浸ってもらえば、今はそれでいいはずだ。


 で、実に野暮なことにクイズづくりをするのだが、ふと「ダウトをさがせ」という読書のアニマシオンの実践も思い出す。幼児中心とはいえ、設定や台詞はよく覚えているものだから、結構盛り上がってくれる。もちろん「絵本」なので、ことばだけでなく「絵」も取り入れてつくる。楽しみなのは教師だった性か(笑)。

『二番目の悪者』は相当の…

2021年12月08日 | 絵本
 読み切ると18分程度になる。読み聞かせに使った絵本としては『リンドバーグ』に次ぐ長さだ。内容は高学年以上だろう。今回、PTA研修として親子一緒の機会に恵まれ、時間が30分あるというので取り上げてみた。歯ごたえというか読みごたえ十分の一冊である。練習も含め、10回以上は通読したが足りない。


『二番目の悪者』
 (林 木林・作  庄野ナホコ・絵) 




 自らの外面に自信たっぷりの金色のライオンが、その行動で信頼を集める銀のライオンを貶めようと画策し、偽りの噂をばらまき、結果国が滅亡する話である。「ほんとうにこれがつくり話だと言えるだろうか」というプロローグが、作者の訴えたいことをずばりと記している。フェイクニュースという現実にも重なる。


 真っ赤な表紙絵が印象深い。またどのページも写実的なタッチを使い、展開に合わせて描かれるが、どこか演劇の舞台を見るようなイメージもあり、語りの重要性に気づかされる。金色のライオンの狡猾さや、初めは信じないが徐々にその言葉に翻弄されていく複数の動物たちの心理など、会話の文章にも流れがある。


 これはきっとBGMなどを準備し、複数の読み手で行ったら面白くなるというアイデアが浮かぶ。しかしそれはまたいつかの機会と考え、一人で多人数に聴かせるとしたら、正攻法だが「語り」と「台詞」の読み分けになる。複数の動物たちの会話はテンポなどで変化をつけたい。いい物語だが相当の覚悟も必要だ。

西行に倣って絵本行脚(笑)

2021年11月25日 | 絵本
 講談絵本挑戦シリーズ(笑)第3弾である。今回は今までの『宮本武蔵』『大岡越前』とはちょっと毛色が異なる。時代はもっと古いし、「和歌」が大きなポイントになる。小学生相手ではさらに難度が上がりそうだが、展開は昔話風なのでこれに関してはわかりやいかもしれない。ふと浮かんだのはキャラを立てることだ。


『西行 鼓ケ滝』(石崎洋司・文 山村浩二・絵  講談社) 




 有名な鼓ヶ滝にやってきた西行法師が、さらさらっと一つの歌をしたためた。「伝え聞く鼓ヶ滝に来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花」。自らの歌によいしれている西行が、一軒のあばら屋に泊めてもらうこととなり、そこに住んでいる老夫婦と孫娘によって、自慢の歌をなおされていく様子を描いている話である。


たいへんうぬぼれていた」西行が、歌の句ひとつひとつを指摘され、参っていく姿がユーモラスだ。絵のタッチもぴたりで、西行の表情などがよく描かれている。言葉だけでは理解しづらくとも、かなりストーリーはつかめるはずだ。西行と老夫婦、孫娘の会話のやりとりの表現に気を配り人物像をくっきりさせたい。


 和歌の意味解釈は難しく、そのあたりが一つのポイント。語を選んだ訳を意識して強調するしかない。西行はこうした「歌行脚」を経て日本一の歌よみになっていく。教科書で名歌を鑑賞する際も、こうした背景を物語として知っておくことは有効だ。歴史上の人物を扱う講談のよさの一部分に少し触れた気がする。

ニャンニャンワールドへ

2021年11月17日 | 絵本
 この作家の猫の描写はお気に入りだ。『ネコヅメのよる』は、持ちネタにしている(読むほどに面白みも増す)ほどだ。この一冊は猫を飼っている家でよく留守番を頼まれる?猫の妄想であり、その擬人化がとても愛くるしい。人間が楽しんでいる様々な日常を人間と同様に、いや、あくまでも猫らしく振るまってみせる。


『ねこは るすばん』(町田尚子 ほるぷ出版) 




 洋服ダンスの奥の秘密の抜け穴から通ずるニャンニャンシティ(沼澤命名)に出かけた一匹の猫。コーヒーショップに始まり、ヘアーサロン、書店…と様々な店に立ち寄って、それぞれを満喫する。猫なりの楽しみ方のウイットが効いている。話の脈絡もきちんとあり、何よりその表情にニンマリさせられてしまう。


 猫好きならずとも、その絵の魅力は十分に感じられる。際立つのは表情を描く巧みさである。ややくすんだ色合いが、本物感というより存在感をアピールするように思う。『ネコヅメ』では夜なので暗めの色調が中心になっていたが、この作品は店ごと、ページごとの変化もある。ただ、紺色は特徴的でここでも目立つ。


 1ページ1行なので読むだけなら2分程度か。しかし、じっくり見せたいページもあるし、余裕をもってめくっていく点が一番の配慮になるだろう。細かい小道具なども描かれていて、それを見つけるのも読む楽しみになる。対象や設定にもよるが、事前情報を付け加えたら、「見る」楽しさに寄与するかもしれない。

妄想の喜びをどう読むか

2021年11月12日 | 絵本
 11月はもう読み聞かせの予定がないのだが、来月はかなり回数をこなしていく計画である。ヨシタケシンスケをひとつ入れたいという思いがあり、今夏発刊されたこの本を手に取った。『わたしの わごむは わたさない』『なつみは なんにでも なれる』と同系統であることが、題名だけでも想像がつく楽しい一冊だ。


『あきらが あけて あげるから 』
 (ヨシタケシンスケ PHP研究所) 





 まだ、様々なモノ(缶や袋、蓋のあるものなど)を上手に開けられない幼稚園児(たぶん)。はやく開けられるようになりたいと思う気持ちを拡げながら、自分が大きくなって色々なもの、奇想天外なものまで開けられる「なんでもあけるやさん」になりたいと妄想を展開する。いわば、御馴染みのヨシタケワールド。


 こうした形で話が進み、オチがつくパターンも前2冊同様だが、今回は特にそれまでの過程がしみじみとしていいなあ。父親の心情がとてもよく迫ってくる(笑)。子どもの成長を願いつつ、自分の役割が減っていくこと。それまでの間に子どもと共に歩んでいきたいことなど。パカッと「あく」姿のエンディングもいい。


 さて、ヨシタケ作品をどう読むか。出会いの『りんごかもしれない』から読み始め8年、あまり意識したことがなかった。親子の会話はそれなりの役割の雰囲気を出すことだろう。子どもの独白は幼児じみた声にする必要はないか。ただ、妄想していく楽しさ、嬉しさなどを声にのせる表現、つまり張りが求められる。

人間が読むことを犬には内緒

2021年11月06日 | 絵本
 11月1日「犬の日」だったので、取り上げてみた一冊だ。教職当時よく実践した「変身作文」~自分以外の何かになって身の回りを綴る~に似ている。子どもたちも楽しんで取り組むし、応用も利く。しかしプロの作家の書く作品だ。当然ながら視野も広いし、ウェットも十分、かなり綿密な本ではないかと思われる。


『しあわせないぬになるには  にんげんにはないしょだよ』
 (ジョー・ウィリアムソン 木坂 涼・訳  徳間書店)




 犬の習性をよく観察していることはもちろん、その動きへの意味づけを人間の心性と照らし合わせて表現している。単なる擬人化だけでなく、人間の文明に対する皮肉や感情に左右されやすい人の習性なども描かれている。一読ではなんとなく読み流してしまいそうだが、一つ一つの文章を分析すると、見えてくる。


 表紙絵を見ればわかるが、ラフな線描に限定された色使いが効果的だ。改めて数えてみると、多少の濃淡はあるにせよ、使われているのは4色のみ。緑、赤、灰色そして少しの黄色。場面によってうまく使い分けされていて、そのページの雰囲気を醸し出すようだ。細かな部分の彩色を、読み手はどう感じるのだろう。


 「ぜんこくの いぬの みなさん ワンにちは!」から始まる楽しい語り。基本的にオス犬になりきって読む。形としてはいわゆる説明的文章だけれど、表情豊かに演じてもいい。しかしまた、坦々と進める方法も面白い。絵のトボケた味とのギャップを楽しむ手もある。自分の声質や適性を見極めて、選択したい。

落語絵本はこの一冊から

2021年11月03日 | 絵本
 落語紙芝居シリーズは教員現職時代に揃えてあり、何度か子どもたちの前で披露した。『とまがしま』が一番お気に入りだ。絵本で落語は難しいと思っていたか、昨秋の研修で紹介されたのを機に、この絵本と『死神』を手に入れレパートリー化を目論んでいる。昨年度の後半に三度挑戦し、約一年ぶりに取り上げた。


『いちはちじゅうのもぉくもく』
 (桂文我・作 長野ヒデ子・え BL出版) 




 落語では『平林(ひらばやし)』として有名である。商家の「すぐに忘れてしまう」でっちを主人公とした滑稽噺。届け物をしにいくが、行き先の名を忘れ、宛名の漢字が読めず出会う人に聞くが、それぞれ異なる読み方をし、そこに「からかい」も混じって楽しい筋が繰り返される。「平林」の字の図解がわかりやすい。


 長野ヒデ子さんの絵のタッチが、中味の可愛らしさ、面白さにマッチしている。でっちのかめきちの素直さ、幼さと、登場して会話を交わす人々との口調の違いを意識する、つまり落語的語り口は当然ながら取り入れてみたいものだ。この噺の真骨頂は、最後のリズミカルな部分の盛り上げ方だ。そこが伝わるか否か。


 かめきちが教えられた読み方を繰り返すうちに「通り過ぎてしまう」ことがオチになるが、本物の噺ではまちまちだ。昨年、高学年を対象とした時はアレンジして「祭囃子かい」「いいえ、平林でございます」と落としたが、小学生にはまだ無理だったか。やはりこの種は、時代文化と語り口を楽しませると割り切ろう。

このナン絵本、どう読む

2021年10月30日 | 絵本
 自分が読み聞かせをしていても、他の方のそれを耳にする機会は頻繁にはない。年に数回程度か。同じ絵本を他の方が読むのを聞くと、やはり読み手によってずいぶんと印象の違いを感じるものだ。そんな観点で考えてみると、国籍不明の言語が数少なく発せられるこの本はどう読まれるのだろうか。実に興味が湧く。


『サルビルサ』(スズキコージ  架空社) 




 昨年度、二度この本を読んでいる(といっても、文字数にすれば200字にも満たない)。メモや記憶をたよりに思い返すと、高学年はあまりぴんとこなかった。低学年は結構面白がってもらえた。同じような設定(拡大画面と音読)にしたつもりだが、集団の差か発達段階なのか、正直ハマり方がまだ見えないままでいる。


 来週、中学年にもう一度取り上げようと思う。工夫の余地は、絵を見せる時間、めくるタイミング、そして読み方しかない。読み方は字数の少なさを補う「変化」だろう。と、ここで絵本の基本に立ち返ってみる。それは「絵でわかることは言葉になくともよい」という原則があるではないか。では字は無視していいか。


 いや、この少ない台詞は、「サルビ」と「ビルサ」に象徴されるように、対になり、同じ内容のことを逆さに発するパターンがほとんどだ。幼くともすぐに気づくこの繰り返しで立場や関係が一定は理解できるのなら、その色を強めることで面白さが増すか。今、声色を交互に変えること、最終のテンポの工夫を考えた。