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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「くらやみきんしの国」を行く

2021年10月18日 | 絵本
 次週は2年生が相手なので、ふさわしい絵本はないだろうかと新着棚で見つけた一冊。「くらやみきんしの国」、まずこの題が何だろうと思わせる。黄色と黒を基調とした表紙。王様が城壁からライトを照らして、そこに浮かびあがる題名。題字のデザインもなかなかよい。改めて絵本全体のイメージの大切さを知る。


『くらやみきんしの国』
  (エミリー・H・ブース作  おおつかのりこ訳) 
  あかね書房 2020.11



 「くらやみ」が怖い男の子は「王子さま」だった。王様になったら、くらやみをなんとかすると決め、成長して実行する。ところが…という展開で、表紙カバー裏には、次のような文章が添えられていた。「わたしたちに たいせつなことを 教えてくれる おはなしです」。読み終えてみると、確かにその印象が残る。


 表紙と同様に、お話の絵も黒と黄色が中心になって構成されている。画材が何かはわからないが、柔らかい線、シンプルかつコミカルな表現が、想像上の国であることにマッチしている。結局、もとに戻る流れは予想されるが、そのクライマックスが「花火」になる箇所が素晴らしい。読み手はここで心が明るくなる。


 読みはナレーションを大切にする。会話文もあるのだが、その表現はほどほどに抑えたほうがいいかもしれない。展開として劇的な部分はあるにせよ、抑揚や強弱より、間や緩急で読みを工夫した方がイメージにあう気がする。寓話的な物語と言っていいだろう。どんな種を心に残すか…闇あって光ということ。

うそだあと12回言う

2021年10月16日 | 絵本
 サトシン作品は図書館にも数冊収められているが、その中でこれが一番しっくり来る。全編が二人の男児の会話で進み、片方の子が題名の「うそだあ!」で受けるパターン。最初から思わずクスッと笑える「うそ」が、徐々に膨れ上がって、最終のオチまでが実にテンポよく、リズミカルに運ぶ。読んで楽しい一冊だ。


『うそだあ!』(サトシン・作  山村浩二・絵) 
  文溪堂 2014.10




 「えっ ホント?」「うそでしょ!」「ええーーっ うっそー」と、相手の言ったことを直接的に否定する言い回しはたくさんある。その中で「うそだあ!」を選択したのは、作家の直感とセンスかもしれないが、音声表現上、工夫できる幅が広いと思う。だから、嘘の「度合い」によって、返しの表現も違ってくる。


 暖色系、淡色系の色使い、二人の男児のシンプルな形象と端的な感情描写が、ぴったりマッチしている。仮に、真逆の写実的な絵だったとすると、重くなってしまい、変なイメージがついてしまうように感じる。中味のオーバーな展開やコミカルさを生かすために、あえて抑え目にすることで全体がまとまるのだな…。


 読み手としては、自分はどちらかと言えばキャラクタータイプと心得ていて、これはレパートリーにしてもいいかな。改めて考えたのは、計12回の「うそだあ!」の読み方だ。一番の驚きはおそらく最後になるだろうが、そのために大声を使う方法もあるし、驚きのあまり…声を失う(程度の小ささ)という手もある。


りんごの季節にこんな一冊

2021年10月13日 | 絵本
 昨年、この絵本を目にした時、こういうアイデアもあるのだなと感心した。他の果物や野菜でも出来そうだが「りんご」はぴったりだ。帯の文句がなかなかいい。「つやつや りんごの長い旅 だれも見たことのない りんごの『その後』346日」つまり「変わりゆくりんごの姿をたどる346日の写真記録絵本」である。


『りんご だんだん』(小川忠勝) あすなろ書房 2020.02




 内容の紹介としては、上記のことで十分だ。言葉は「りんご つるつる」の初日から始まり、2ページの「89日」目の「りんご じーっと」に続き、表面上の変化から徐々に中味が朽ちていくまで、「りんご ○○○○」が主パターンで、後半に登場する虫によって変化をつける形。そして「おなかいっぱい」でオチがつく。


 1ページずつ、じっくりと写真を見せていくことしか留意点はない。最後の30,31ページは変化の一覧が載っている。実はこの絵本もPPTでやろうと思うので、ここは機器を使って工夫した方が面白いだろう。多人数の読み聞かせにおいて、見せるべき箇所をきちんと見せることは基本だし、そのための技術活用だ。


 さて、「りんご」というと昔から結構「」になっているものが多い。また歌詞としてはかの吉田拓郎の歌も印象深い。まど・みちおの詩もいいが、個人的には山村暮鳥の教科書に載った「りんご」が何となく好きだし、授業もしているはずだ。秋にふさわしい。

両手をどんなに
大きく 大きく
ひろげても
かかえきれない この気持ち
りんごが一つ
日あたりに転がっている


夏のお月さんの話、今頃

2021年09月24日 | 絵本
 先月下旬頃、図書館へ新着で届けられた本を見ていて、一発で「ああ、いい本。読みたい」と思わせられた。きっと都会の団地暮らしの子ども(今どき、あまりいないか)だと、結構沁みてくるのではないか。いや、そう対象を絞らなくとも、絵がいいし発想や筋が面白いので、きっと見入り、聴き入ってくれるだろう。


『お月さんのシャーベット 』(ペク・ヒナ作 長谷川義史訳 ブロンズ新社) 



 エアコンや扇風機をつけなければどうしようもない、暑い夏の夜。お月様を見ていておばあさんが、月が溶け出していることに気づく。そのしずくをたらいで受けとめて、家に帰って作り始めたのはなんとシャーベット。どうしてそんな発想するかより、どんな味だろうと、すぐに物語の中へ入っていきそうだ。


 どこの家でも電気を使い過ぎたからだろう、電力の止まった団地。一軒だけ明るい窓があるのは、おばあさんの家だ。そこから皆、月のシャーベットを分けてもらい、それぞれに幸せな夜が訪れる。そこで終わりではなく、おばあさんの家へ別の訪問者が訪れ…。いったい「月」とは何の象徴か。そんな思いが浮かぶ。


 このコンビは他にも面白い作品が多い。ただ癖が強い(笑)ので、読むには少し尻込みすることもある。しかしこの絵本はしっとりしていて、関西弁もソフトな使われ方だ。あまり意識しなくとも口に出せる。テンポをゆっくりめにしながら、場の余韻が出るように配慮したい。読む時期は8月が最適なのに…口惜しい。

ひとりぼっちは泣いていい

2021年09月18日 | 絵本
 小学生低学年の頃は泣き虫だった。3年生になって「これじゃいけない」と心の中で宣言したことを覚えている。それは成長と呼べるのかもしれないが、感情を抑え込む術を身につけたのは狡さの始まりだったかと思ったりもする。このシンプルな絵本には妙に共感してしまった。「ひとりぼっち」は誰でもさびしい。


『なくのかな』(内田麟太郎・作  大島妙子・絵  童心社) 



 休日の公園だろうか、それともお祭りの縁日のような所だろうか、「おとうさんと おかあさんに はぐれて」「ぼくは こらえていたけど」…と切り出し、すぐに泣くのではなく、自分以外の存在に置きかえて想像してみるのだ。最初はオニ、そしてオオカミ、さらにはサムライ、そしてオバケまで…みんな泣いている。


 泣くまで様々な思いが揺れ動くことを、キャラクターを登場させながらユーモラスに描いている。「だれでも みんな なくんだよ みんな ないても いいんだよ」…泣き虫の子どもは、ほっとするだろう。もしかしたら、大人も抱える状況の違いがあっても安堵感を抱くかもしれない。そんな雰囲気のある一冊だ。


 「泣き虫の人はいるかな?」「お出かけのときにはぐれたり、迷子になったりしたことがある人はいるかな?」と、そんなふうに切り出すだろうか。自分も2年生までは泣き虫だったと白状しようか(笑)。さて読み方は、きっとキャラクターに合った感情的な形ではなく、淡々と文章を発したほうが沁みていく気がする。

その程度で生きる諦観

2021年08月26日 | 絵本
 15㎝×15㎝のサイズの絵本は幼児向けの書棚に収められるが、ヨシタケの作には『もしものせかい』のように、かなり哲学的な内容の本もある。この一冊も以前「読書」として紹介した。題名のシンプルさからは想像できない結構な展開である。来月、高校生に絵本レクチャーが予定されているので使おうと思い、読み直しする。


『あつかったらぬげばいい』(ヨシタケシンスケ) 白泉社2020.08


 「~~~たら(なら)」「~~~(すれば)いい」という見開きパターンで続いていく。冒頭が上の2ページ、次は「ヘトヘトにつかれたら」「はもみがかずにそのままねればいい」で、ごく普通の対処法と思いがちだが、その次はこうなる。「ふとっちゃったら」「なかまをみつければいい」…この、ずらし方が持ち味だ。


 「太ったら」と問題を仮定すると「食べるのを減らせばいい、運動すればいい、サプリを飲めばいい」と解決に向けて動き出しを促したくなるが、それを回避して問題を見えなくしていくパターンか。もちろん、全て似た思考ではないようだ。こんな問いかけもある。「よのなかが みにくくおもえて きちゃったら



 絵にも表しているが「ひかるがめんを みなきゃいい」と答えていく。これはシンプルな絶ち方の提言とでもいえばいいだろうか。大雑把な括り方をすれば、「対処はいっぱいあるよ」と語っている。そしてその多くは「逃げ方」だ。ヨシタケには、上手に逃げられない人が増えているという感覚があるのかもしれない。


 極めつけは「せかいが かわってしまったら」である。「じぶんも かわって しまえばいい」と応える。変化に対する価値観は人様々だろう。ただ、人間なんて所詮その程度で生きているという諦観がもとになっている気もする。自然な感情のままで過ごす大切さ。この絵本は「さむかったら」「きればいい」で終わる。

「大きな蕪」は大問題

2021年08月16日 | 絵本
 少し挑戦の気持ちを抱いて『ももたろう』(ガタロー☆マン 誠文堂新光社)を取り上げたのは5月だった。「言葉や画のパフォーマンスを楽しむ」形で確かに盛り上がった。根がお笑い好きなので、おふざけバージョンと思われても魅力は感じる。この夏、その「おかしばなし」の第二弾が新着本として図書館へ並んだ。


『おおきなかぶー』(ガタロー☆マン 誠文堂新光社)



 「ももたろう」の筋におけるアレンジは、家来となる動物の登場順が主たるものだった。しかしこの本は、発端は原作?同様なのだが、おじいさんの助けとなる者たちの登場順はもちろん、登場の仕方や結末まで、脚色がかなり強めだ。一定のパターンで流れるが、ページごとの語尾には変化があり、単純ではない。


 気づいた方もいるだろうが書名が少し違う。「~~ぶー」の箇所である。オチが臭い形をとり、聞き手が子どもだったらウケるか。結末も大きく変わっている。なにしろ「へでたし へでたし」だから…。ロシア民話をもとにしたとは到底口にできない(笑)。「ももたろう」との類似もあり、二作続けて読めば楽しめるかな。


 さて、全く関係ないが「かぶ」は何故「」なのか。草かんむりに「無」である。そもそも「生い茂った雑草」を表わす。「隠されて見えない」という意味は、食用となる球状の根が見えない?ではない。結局「よくわからない」象徴とされる字だと推論できた。だから「大きな蕪」とはなかなか抜けない「大問題」なのだ。

「おめん」を読む

2021年08月13日 | 絵本
 「顔の形に似せ、顔につけるもの」を「」という。神楽や能、演劇などで着用するが、それはそのまま役割や人格を表わすという意味がある。着用していないのに「面をかぶっているような」と表現されるとき、それは内部を見せない、または大きなギャップがあることを指す。考えると「面」とは凄い道具である。


『おめん』(夢枕獏・作 辻川奈美・絵  岩崎書店) 



 怪談シリーズの「悪い本」「おろしてください」に続いて取り上げる。今年出た新作である。作者はあの『陰陽師』も書いているはず。深く納得するストーリー。ある娘が他の子への妬み、嫉みを心に抱えたときにあらわれた「おめん」。それをかぶり、呪い始めると次々に実現してしまう。「いい気味」と喜ぶ娘は、ある日…。


 目に見えるものと見えないもののつながりが強調される、予想できた筋立てではある。しかしダイレクトな文章と細密な絵が相まって、ちょっとした異空間が展開しているような風景が進む。呪いが最高潮に達したときに、口に出される「どんどろぼろぞうむ でんでればらぞうむ」という語も非常にパワーを感じる。


 どう読むか。これは女声がふさわしい。しかしそうであっても低めがあうだろう。そうなら男声でも可能かもしれない。いや、逆に登場人物と同化しない方が伝わる場合もある。対象は小学校高学年になろうが、感性の違いによって受け止め方は差がでるかな。もしかして悩む子がいたりして…。その経験は大事だ。

乗ってしまったからには…

2021年07月10日 | 絵本
 『悪い本』に続いて「怪談えほん」シリーズ。『悪い本』は第一期配本だったが、この一冊は第三期とされ、昨年発刊されてばかりである。検索すると発刊元には特設サイトがあり、話の募集も行われていたようだ。「怖い本」はいつでも需要があるものだ。昔は「語り」一辺倒だったが、今はいろいろな手を駆使できる。


『おろしてください』(有栖川有栖・文 市川友章・絵 岩崎書店) 




 『悪い本』は、じわりじわりと来る設定と展開。この一冊は、もう直球といっていいほどに場が準備されている。道に迷い、小さな駅を見つけ、乗り込んだ列車のなかで「ぼく」が見たものは…、描かれる画も実におどろおどろしく、ストレートだ。人間と魔界の境がトンネルにあることも、オーソドックスと言える。


 あえて、細かく絵を読み解くと、「かたつむり」や「ねこ」の存在が気になる。最終的に人間界に戻れたとしても、同行したかたつむり、ねこは何を見てきたのだろう。現実社会で何を見ているのだろう、と想像することもできる。まあ、一度さらっと流したぐらいでは、そこまで気づく子はいないか。いや読者は多様だ。


 では、読み語るとすると…。これはドラマのような語りと台詞のイメージかなと思う。映像化すると、それらしいBGMがつきそうな展開だ。そこを生声のみで表現するとすれば、十分な間、感情を表す緩急が大事か。車掌の声をどうするか、この辺りが怖さを引き出すポイントになるか。エンディングの絵がいい。

「大岡裁き」をつかませる

2021年07月07日 | 絵本
 講談絵本に挑んだ(笑)のは、昨年の末だ。その顛末はここへも書いた。同じシリーズを6冊取り揃えてみた。現状では小学生相手がほとんどなので、何を取り上げても内容の難しさがある。しかし、いわば「調子よく語るお話」を耳に入れたいというねらいであれば、それはそれで今どき価値があるのでは…と考えた。


『大岡越前 しばられ地蔵』(石崎洋司・文 北村裕花・絵 講談社) 



 同世代であれば大岡越前といえば加藤剛だな…それはともかく、いわゆる「大岡裁き」の有名な話の一つであろう。「荷かつぎ人足」の弥五郎が、南蔵院という寺の地蔵様の前で昼寝をし反物を盗まれ、相談した善太郎が奉行所にその顛末を話したら、名奉行と言われた大岡さまが「地蔵が盗人と通じ…」と断を下し…。


 絵本作家として有名な北村裕花。親しみやすさがあり、奇をてらった描き方もしていない。馴染みやすいとは思うが、文章の方はやはり「武家ことば」が多いので、今の子どもたちは意味をつかみにくい。時代劇ドラマがたくさんあった昭和期とは違うだろう。会話の調子によって「身分」を感じさせる必要があるか。


 俗にいう大岡裁きのパターンは解決の仕方にからくりがあり、それが逆転劇という形をとる。大人なら簡単に理解出来るが、やはり小学生には難易度高し。そこを絵の力を借りて雰囲気をつかませよう。「難しい言葉や知らない土地の名前はあるけど、絵から想像してみよう!」と言い訳し、再び始めることにしよっ(笑)