『斬(ざん)』

移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/

■2006年12月アーカイブ

2006年12月31日 | 目次
■2006年12月アーカイブ

2006年11月← / →2007年1月


★★☆☆☆ 今年(2006年)の『斬(ざん)』を振り返る 2006.12.30
★★★☆☆ 議論は、ゆるく、まったり、ぬるぬるといきまひょう 2006.12.29
★★★★☆ 時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない 2006.12.27

★★☆☆☆ 悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ 2006.12.23
★★☆☆☆ コメントにおける「はじめまして」について考える 2006.12.20
★★☆☆☆ 結局トラックバックは相手へのラブレターでFA(ファイナルアンサー) 2006.12.19
★★★★☆ ペンギンはいつか空を飛ぶ夢をみるかもしれない 2006.12.17
★★☆☆☆ トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁ 2006.12.14

★★★★☆ 脳内で蓄積されていく記事リンクを増やすことが大事 2006.12.12
★★☆☆☆ クリリリリン 2006.12.10
★★★☆☆ 衆愚化の解決はトッピングの自由度にある!? 2006.12.06
★★☆☆☆ タブブラウザのタブはいくつ開いてますか? 2006.12.04
★★★☆☆ ネガポジによって受ける同じ記事の印象に付いて考える 2006.12.02




[参考] オレの記事おすすめ度を5段階にしました。

★☆☆☆☆ …たまにツボにハマルかも。
★★☆☆☆ …マニアックにはウケるよ。
★★★☆☆ …おすすめ!
★★★★☆ …超おすすめ!!
★★★★★ …まずは読んで見て!!

今年(2006年)の『斬(ざん)』を振り返る

2006年12月30日 | その他
 ■他人の不幸は蜜の味: 被ブックマーク数で見る、このブログの1年
 に触発されて(ってかパクッて)、今年一年のこのブログを振り返ってみる。

1月このブログの存在価値を考えさせられた9Users
 ・記事数:6
 ・20日以降、体調不良で更新できず。

2月 はてなブックマークはオレにとってブックマーク集ではなかった56Users
 ・記事数:11
 ・上記記事が今年というか、自己過去最高の 56Users をはてブされ、話題になった(実際当時は50Usersだったかな)。しかし、アクセス数自体、このころのはてブは、それ程でもなかった。
 ・excite ブログで編集ブログを草稿記事のプレビュー用に利用する。
 ・このころから、長文が読めなくなってきた。
 ・記事分割更新方式を思いつく。

3月「詳しくは Web で!」という差別22Users
 ・記事数:7
 ・上記記事が個人ニュースサイト界隈や各所で言及、紹介され過去最高のアクセス数を記録する。
 ・PASS 制ブログに浮気してて、そっちに集中していた。
 ・分家を公開制に移行する。

4月■Web 格言
 ・記事数:18
 ・思うところあって、更新を休止する。そしてその理由
 ・記事分割方式を試行する。

5月長文読めない症候群19Users
 ・記事数:17
 ・記事分割方式はやくも、続かない。
 ・PASS 制ブログを止める。

6月はてブでクリップされやすくなったはてブ常連ブロガー36Users
 ・記事数:14
 ・記事分割方式事実上破綻する。
 ・過去の記事検索関連に注目して深く掘り下げる(読者置いてけぼりか)。
 ・『「おたく」と「マニア」の違いについて調べてみた』が、個人ニュースサイト界隈を流れ、過去最高アクセスを更新する。

7月はてブの「お気に入り」について考える 1(歴史編)29Users
 ・記事数:15
 ・小粒だけど、なかなかまとまってる記事が多い。
 ・カレンダーをチェック模様にすることに注視する。

8月調べてビックリ!!「半熟卵」の定義は結構曖昧だった17Users
 ・記事数:10
 ・『nihongonyuuryoku ( nihonngonyuuryoku )』個人的には、これが役立ったのが、凄く嬉しかった。
 ・『RinRin王国』に『プチびっくり人』が取り上げられたのが、今月最高アクセスだった。
 ・中旬体調崩して更新休止する。

9月消費されるブログ記事49Users
 ・記事数:11
 ・今年このブログの記事中最高の記事でしょう。
 ・ブログのフローとストックについての考察が深まる。
 ・次点の『トラックバックは誰のためにするのかなぁ?』も、良かった。
 ・更新日を遊んでみた(土日と水曜更新)。

10月よく間違えそうになる(いや間違える)ブログ、ブロガー30Users
 ・記事数:7
 ・予想外に上記記事が各所で盛り上がる。
 ・前半2週間は、更新休止する。

11月Web 上でのプライベートモードは危険なモードですよ50Users
 ・記事数:10
 ・今年2番目にブクマ数をいただいたのが上記記事。
 ・ブログをフローと割り切って分家で垂れ流し記事をはじめる。 

12月:悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ26Users
 ・記事数:13
 ・不本意ながらクレーム記事がトップ。個人的にはその次の『時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない』とか『脳内で蓄積されていく記事リンクを増やすことが大事』のほうが、好きなんですけどね。みなさん、揉め事がお好きなようで……


総記事数:130

 なにやら、少しずつ成長している感がある(計画通り)。ってか、はてブからのアクセス数が増えてきていますね。そろそろ個人ニュースサイト大手(中堅)とはてブのホッテントリで差が無くなってきているんじゃないでしょうか(去年のはてブ(ホッテントリ)からのアクセスはまだ少なかった)。来年は Vista が出て、IE7 によってタブブラウザと RSS リーダがデフォルト化する。そうなったときにどうなるのかが非常に楽しくもあり、怖くもある。ちゅーか、来年もまともにブログできるかのほうが心配だけどね。更新頻度落としたいという目標がどうなるか。半年前から言ってるけどまだ実行できてない。何にしても、こうして、このブログの一年を振り返るってのは、作ってる自分が一番面白いところではあるね。

 今年一年、『斬(ざん)』をご覧頂き、また絡んで頂きまして、ありがとうございました。また来年もよろしければ、このブログを可愛がって下さいませ。

議論は、ゆるく、まったり、ぬるぬるといきまひょう

2006年12月29日 | Weblog
TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな

 やっぱりスルー力足らないかも。言及されてたので、思ったことを書いてみる。
彼が「貴重な時間」を費やして書いた文章を要約するとこうなる。

 ・コメントスパムは迷惑です。

ビックリするほど全く内容が無い。いわゆる「正論」で終了。ワシが予めすべて言ってあることだ。それでもやるから「確信犯的」なわけで、全くワシを動かすことは出来ない。そしてそのこともワシも彼もわかっている。何もかも全てが無駄ってこったな。
TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな

 ・『「正論」で終了。』で終わっちゃったんで、反論無し(出来ない)って事ですね。
 ・「全くワシを動かすことは出来ない。」って、言及記事書いてる時点で動いてるじゃん!
 ・「そしてそのこともワシも彼もわかっている。何もかも全てが無駄ってこったな。」勝手に一緒にしないでください。オレは無駄なんて思っていませんからね。
 結局、人は「好きなもんは好き」「嫌なもんは嫌」って動いてんのよ。今回の[足あと]スパムも、「TERRAZIだったから許されるけど、他ならダメかなぁ」ってなもんで、ルールなんざ、相当いい加減なもんなのよ。その程度のことを5年も10年も「論争」しているのよ。バカバカしいと思わんか?
 ココで書かれてることから無駄だって結論なんだと思うけど、オレは以前から書いてるように、「ループする論争」をバカバカしいとは思っていないです。
参照:『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。
  
 「ルールなんざ、相当いい加減なもんなのよ。」は、そうなんだけど、そのルールを作る前提ってのがあるわけで、「ルール」ってのは、つまり「規則」ってことで、何で規則があるかって言ったら「秩序」を守るためなんですよね。で、コメントスパムってのは、秩序を乱し、ただのコメントは乱さないと思うのです。それで、どこまでがスパムでどこまでがスパムじゃないかを考えると、今回の場合、それが「お互い相手を知っていてネタだと分かってる場合」辺りがラインだと思うんですよ。だから
もしくは、少なくとも相手を選ぶべきです(そーゆーのは内輪で楽しくやってくださいな)。
『斬(ざん)』:悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ
と書いたんですが、それを「相当いい加減なもの」で片付けちゃいけないんじゃないかと。

 スパムかそうでないかというのを、オレの記事から考えるきっかけを与えることには、なっていないだろうか?そのことは、はてブ一覧からも、「相手による」とコメントがあったことからも、わかるんじゃないかと。ちなみに、コメントスパムの「定義」をいくつかご紹介。
多数のブログ等のコメント欄に、本文の内容とは関係のないサイトへの誘導や宣伝を行う行為で、スパムの一種。
コメントスパムとは - はてなダイアリー

コメントスパムとは、関係のないコメントとリンクを書き込むことをいいます。
コメントスパム とは | Weblog用語集 | ミツエーリンクス

ウェブログ(ブログ)のコメント欄に、本文の内容と班関係ない広告を無差別に大量に投稿すること。スパムメールのウェブログ版。
コメントスパムとは 【comment spam】 - 意味・解説 : IT用語辞典 e-Words

 つまりオレの記事は、その「気付き」を起こさせて、各自が、コメントスパムについて考えてもらうきっかけを与える目的も含めて公開して書いたわけであり、たんなる「苦情」なら、メールでもいいんですよね(まぁ、公開苦情ではあるんだけどさ)。だから、オレにとっては、全然無駄なことじゃない。そこから、新たな意見が生まれ、現時点でのコメントスパムのガイドラインの一部ができたとすれば意義があるでしょ?

 ルールってのは、いつまでも同じじゃないし、場所や時間でも、変わってきます。だから、その時に一番合うルールを模索し続けるための論争をバカバカしいとは思いません。その論争結果の移り変わりが、Web によって長期的に見て可視化されるというのは、歴史の変換点を知る意味においても大事なことだと思います。

なんでこう何度も何度も無限ループのように繰り返されるのかというと、論をぶつ前に学ばないからだよな。
TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな
 違うと思う。学者達だって勉強してても、繰り返し議論してるでしょ?って、まぁこれは詭弁だけど、現状を見る限り、学ぶのはごく一部だし、学ばないことが前提ということではない。それは理想論であり現実的じゃない。そして、結論は、はっきりとは出ないと思います。Web 上の議論というモノの多くは、考えるきっかけを与えることと、複数の意見を出し合うことで、自分なりの答えを見出すヒントを与えるものだと思います。そして、ループするたびに、再確認して現状に合わせて補正するもの。

 それから、ネットバトルのような勝ち負け議論は、オレは好きじゃないので、ぬるいというなら、それでいいです。議論ってのは結論が1つにまとまらないことのほうが多いし、それを求めて疲弊したり、サイト閉鎖するなんてのは、ナンセンスなんでね。これは、価値観の違いなので仕方ないです。だから TERRAZI さんとは、議論にならないだろうし、そーゆータイプの人との勝ち負けを争う議論をするきもありません。オレは『議論の種類』にある、「対話」型の議論を望むタイプですから。なので、前の記事で「これ以上関わりあいたくない」って書いたのは、直感でそれが分かったからなんだろうね。

 ただ、今回の言及元の記事は、オレにとって非常に有意義なモノでした。この記事を考えたり書いたりした時間は無駄じゃなかったので、我ながらいい記事できたと思います。ありがとうございます。


[関連]
『斬(ざん)』:悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ

[参考]
ぽんすブログ: 3つの議論
ぽんすブログ: 議論のアンチ・パターン
こどものもうそうblog | 議論は勝ち負けじゃない
ブログの賢い歩き方-日々是自己主張
如星的茶葉暮らし [神慮の機械]:【論点の共有】
ただウェブに駄文を綴るのみ スタンスの違いを認識し合わねば,不毛なだけの議論になる
鴎庵 : 議論のループには意味がある
他人の不幸は蜜の味: ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由
 (全て:編集用ブログ「議論」ブログ内検索)

[TB:TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな]

時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない

2006年12月27日 | 想った事、感じた事
 たしかにブログをやっていれば、自分の記事が注目されたり、話題にされたりするのは非常に嬉しいものです。多くの人に読まれ、何かを感じてもらえたら、書き手として公開した甲斐があります。そしてさらにリアクションも頂ければ、なおさら嬉しいわけですが……

 でも、ちょっと待ってくださいよ。

 あの日あの時あの(自分の)記事が、Web でちょっとした注目を集めたけれど、その影であの日あの時同じように上げられた、幾千万(そんなにあるかわからないけど)の別の記事があるんだよね。その中には、自分の記事が見劣りするくらい、眩しくて輝いてるイイ記事が生まれている可能性だってあるはず。でも、それが決してその日その時に注目を浴びるとは限らない。ひっそりと陰に隠されて埋もれてしまっていることもあるだろう。

 そのような「消費されない記事」は、いつか日の目を見て注目を浴びて輝くことが出来るかもしれない。けれど、ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。

 果たして、それを無条件に喜んでいていいのだろうか?

 それは、本当は恥ずかしいことではないのだろうか?

 本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?

 まだ、その本当の一番を知らなければいいかもしれないけれど、知ってしまったら恥ずかしくて穴があったら入りたくなりますね、たぶん。その知る時というのが、ある日突然、何の前触れも無く訪れて、ふと気が付いてしまったとしたら、それはとてつもなく恥ずかしいと思うのです。

[関連]
『斬(ざん)』:トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁ
『斬(ざん)』:羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね

追記(2007.01.01)
 関連にリンクを1つ追加。

悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ

2006年12月23日 | Weblog
TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!

 非常に不快だったので記事にする。

 『斬(ざん)』:Web 上でのプライベートモードは危険なモードですよのコメントに、コピペ文([足あと]と書かれただけのもの)によるコメントスパムが入った(現在は証拠確保のため保留中にして非公開にしています)。リンク先の記事を読んでみると、それがネタ記事による実験であることがわかったのですが、やはり、悪ふざけだとしても頂けない。
【実験くん】mixiの「足あと」をはてなで疑似体験してみよう!
とまぁ、グダグダと説明してみたが、ワシを含めmixiを使ってない人にはさっぱりわからんと思う。そんなわけで、はてなで「足あと」をやってみることにした。

ルール

 ・見たページ全部に「足あと」とだけコメントする。
 ・特にいつもはROMだけのページに積極的に行う。
 ・「足あと」を付け返してもらったら勝ち(何?
 ・怒られても泣かない。
TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!
 とある。まず、このルールが頂けない。
 ・特にいつもはROMだけのページに積極的に行う。
 交流先でもない相手に対して初対面で、コメントスパムを送るとは無礼である。まだ交流していての遊び感覚なら受け入れられなくも無いが、ページを読んだというだけで、自分のネタ記事のためにコメントスパムを送られては、たまったものではない。
 ・「足あと」を付け返してもらったら勝ち(何?
 相手を誘導したら勝ちという考え方が、そもそも失礼である。
 ・怒られても泣かない。
 泣く泣かないなど関係ない。どうせなら、怒られても何言われても、歯向かわない。逆らわない。くらいの覚悟を持ってすべき行為ではないだろうか?怒られることがあろうことを想定できていて、相手に迷惑をかける可能性があることを知ってやっているのですからね。

最後におわび
 ・ということで、このような理由での実験と言うか悪ふざけでした。ごめんなさい。
 ・「足あと」は削除しようが、煮るなり焼くなり好きにしてください。
 ・コメントスパムリスト入りは悲しいので勘弁してください。
 ・後でリファラ統計を公開します(つーか誰でもいつでも見れますが)
TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!
 ・悪ふざけの実験とはじめから分かっていて、確信犯的に記事で先に謝るくらいなら最初からやるべきではありません。もしくは、少なくとも相手を選ぶべきです(そーゆーのは内輪で楽しくやってくださいな)。TERRAZI さんが見たページは、TERRAZI さん以外には分からないのですから、スパムを嫌っているところへは、見たとしても、コメントしないくらいの配慮があってしかるべきではないでしょうか?

 ・また「削除しようが、煮るなり焼くなり~」ですが、スパムを送りつけておいて、相手の手を煩わせ、あなたの悪ふざけの実験のために削除するなどの貴重な時間を割かなければならないというのに、それを謝ったその後に言って(書いて)のけるとは、信じられませんね。謝罪する意思があるようにはまったく感じられません。ただ「ごめんなさい」と書いただけのように思えます。

 ・一度でもコメントスパムを送れば、スパマーですよ。どんな理由があろうが、それはあなたの勝手な都合での話でしかありません。今回だけだからは許されません。

 以上、この記事を書くはめになった貴重な時間を返していただきたいくらいです。

 なお、謝罪もいらないですし、これ以上この件で関わりあいたくもありません。コメントスパムのことで、貴重な時間をこれ以上割きたくはないですからね。ただ、言わずにはおられなかっただけですので。まだまだスルー力が足らないようです。

 まだ『斬(ざん)』:~総合案内~に書込まれたなら、不快感も少なかったかもしれませんけど。今となっては既に後の祭りですがね。


[関連]
『斬(ざん)』:議論は、ゆるく、まったり、ぬるぬるといきまひょう

[TB:TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!]

追記(2006.12.29)
・関連にリンクを1つ追加。

コメントにおける「はじめまして」について考える

2006年12月20日 | ブログの話
 以前から、個人的なポリシーとして、サイト(ブログ)のコメント欄や掲示板などにはじめて書き込む場合には、挨拶として最初に「はじめまして」を極力入れるように心がけています。しかし、最近ちょっとしたことがあって、あれこれとまた考えていました。

 結論から言うと、「はじめまして」はやめる

になったのですが、ではそのいきさつを。

◆「はじめまして」をなぜ書くか。
 ・相手への敬意
 ・コミュニケーションの円滑化
 ・コメントのタイトルでつまずくのを回避する

 の3点なのですが、「相手への敬意」は、間違えて既に初めてではない場合には、逆に失礼になってしまいます。そうなると「コミュニケーションの円滑化」では無くなってしまいます。また、相手のサイト(ブログ)の運営ポリシーに「挨拶は必要ない」とあった場合には、やはり書かないほうがいいから、余分なことになってしまいます。「コメントのタイトルでつまずくのを回避する」は、特に無ければタイトルは入れなければいいので、別段困らないです。

 以上の理由が、「はじめまして」をやめる主な理由です。
 しかし、挨拶をノイズという考え方はすこし違うと考えますので、挨拶はあったほうがいいという考え方自体に変わりありません。そして、挨拶されれば返したいというか、返すことが当たり前という考え方に変わりはありません。なので、されるのはご自由に、です。ただ、こちらが返事を忘れたりする場合もありますので、その場合はご容赦いただきたいです。もし挨拶の返事が無かったとしたら、それは単に忘れてしまっただけで他意は無いです。

 もう少しだけ余談を書くと、最近ソーシャルブックマーク( SBM )や RSS リーダーなので、記事やコメントを大量に読みます。ですので、どの方と絡んだのかの線が非常に曖昧であり、その数も増えすぎているため、管理できる状態では無くなっています。さらに、忘れやすい自分の性格も手伝って、初めてでは無くても、数ヶ月前に一回くらいの絡みでは忘れている場合も増えています。その辺りを考慮に入れると、「はじめまして」はもう破綻していると感じます。

 極力失礼の無いようにということでの判断です。元々覚えていないのが失礼なのではありますが、覚えきれないというのも、正直な現実であり、切実(ってほど大げさではないかもだけど)な問題です。

 ですので、本来は、初めての方には「はじめまして」を入れたいんだけど、という気持ちがあることだけは分かって頂きたいと思います。

 以上の結果より、今後、自分からの「はじめまして」ではじまるコメントはやめます。

 ついでに「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」は、相手がいつ読むかで、返答に迷う場合があるので、こちらも極力しないです。

 「やー」とか「どうも」というのもいいかなとも思いますが、なんか馴れ馴れしさもあるんですよね。いつでもどこでも誰にでも使える適切な挨拶ってなんかないでしょうかね。

[関連]
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』 コメントにおける「はじめまして」について考える

追記(2006.12.23)
・関連にリンクを1つ追加。

結局トラックバックは相手へのラブレターでFA(ファイナルアンサー)

2006年12月19日 | Weblog
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて

 『斬(ざん)』:トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁにトラックバックをいただいた記事です。コメントにしようかと思いましたが、長くなりそうなので記事にします。
結構な知名度のブログにものすごい逡巡した挙句勇気を振り絞ってトラックバックを打ち込んだ、そのドキドキのわりにはそこ経由のアクセスがゼロ、という経験が数度あったりしますが・・・
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 うーん、オレの場合、すごい逡巡(こんな単語見たことあったけど使ったこと無いや)するとしたら、知名度というより、その相手次第でしょうね。知名度もその中に含まれることもありますが、それよりもなんか持ってるオーラというか、凄さみたいなモノのほうが大きいですね。

 それで、そこからのアクセスってのは、ほとんど期待していないというか、それよりトラックバックする相手に自分の言及記事を読ませるってことの方が大きいですからね。ただ、何にしろオレの場合は goo ブログの無料版でアクセス解析機能が無いため、リファラが分からないのですけどね。でも、それが自分には合っているようです。なまじリファラが分かると、余計なことを考えてしまうかもしれません。
(どこかのハイパーリンクをたどって、)どこかのブログの記事を読む。
その記事の言及先である他のブログへの、あるいはそこに飛んできたトラックバックの、リンクをクリックすることの何と少ないことか。
……自分の巡回スタイルを振り返っても。
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 閲覧したときに、興味のある記事ならトラックバック先を読む場合もあります。しかし、後日に入ったトラックバック記事に目が行くというよりも、その存在に気が付かないほうが多いように思いますね。確かに仰るとおり、自分の巡回スタイルでも、トラックバックのリンクをクリックすることは、毎回ではないです。そして、一度読んだ記事(新着の最新)の場合、まだトラックバックが入っていない場合も多いので、見かけないというのもあります。ただ、はてなブックマークのブクマ一覧画面から、リンクされてる記事なんかは、最近よく飛びますね。
そこのリンクのいくつかをクリックしてリンク先に飛ぶのだけれども、さらにそこから先に飛ぶことなく、ベースに還ってくる。
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 これは、たしかにそうですね。同じです。
かなりの"アルファ"な方が「文中リンクのクリック率など良くて1%かそこら」と書いていたのを読んだ記憶があって
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 うーん、アルファな方の記事は知りませんが、以前オレの記事の中でのやりとりでも、そんなのがありましたよ。
参考:『斬(ざん)』 引用は誤解を招きやすい?(特にコメント欄)
トラックバックというのはたいてい記事の最後のまだ下に位置するものですから、そこまでクリックしてくれる人がどれだけの割合かというと・・
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 うーん、一概には言えないのですが、オレの場合、どちらかというとトラックバック記事のほうが、記事中のリンクよりもクリックしますね。もちろん、記事中リンクが言及スタイルで引用されているような場合は、そちらもクリックします。やはり気になった記事に入っているトラックバックというのは気になります。

 結局のところ、読んだときにトラックバックが入っているかが重要なんだと思います。しかし、記事について考えをまとめて、新たに記事を書いていれば、当然数日後になって記事が仕上がる場合も多いでしょうし、そういったトラックバック記事のほうが、じっくり考察されていてイイ記事も多いんじゃないかと思うと、それを読む機会が少ないってのはジレンマですね。
実際にはリンクした/された当事者同士のつながりができれば御の字、くらいのものなのかもしれません。
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 結局は、相手に読んでもらうことなんだと思いますね。トラックバックというのは。あとリンクで繋がっているのは、おまけと考えるほうが気楽でしょうね。オレは、もともとそーゆー気持ちで送ってますけどね。話題性だとか、ページランクがどうとか、そこからのアクセスがどうとかってのは、あまり考えたくはないですね。ただ、盛り上がってくれるのなら、自分も温度差の無い(つまり記事を上げてあまり時間が経っていない)時がいいのになぁー とは思います。自分だけその記事に対する熱が、既に低くなっているのでは、ちとむなしい。まぁ、それでもありがたい贅沢なことではあるんですけどね。

 やはり、トラックバックは公開ラブレターなんだと思います。


[TB:CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて]

ペンギンはいつか空を飛ぶ夢をみるかもしれない

2006年12月17日 | 想った事、感じた事
 先日、TV で、給食費を払わない親など学校教育関連の話題について、先生方とタレントが集まって、「やんややんや」やっていました(司会はたしか爆笑問題だったような)。その中で、「物語の内容を変えてしまう学芸会」(って感じのタイトル:うろ覚え)というビデオがあって、幼稚園(保育園)児らによる「桃太郎」の劇が流されていました。そして、その中でおじいさん(先生がやっている)が桃を切った場面で、中から「桃太郎」が何人も出てくる(たぶん演じた組の園児全員でしょう)という、トンデモなシーンを目の当たりにしました。

 おいおい、ちょっと待てよ。たしかに、自分の子供が主人公ってのは、嬉しいでしょうけど、それじゃー、物語が進まない。そりゃー、息子(娘)の晴れ舞台を楽しみたいって気持ちは分かりますが、それを不公平なしで平等にって考えは、その時点でおかしい。親バカは仕方ないけど、そりゃー子供をペットかなんかと思ってないか?

 よく考えてみなよ。世の中には、不条理というものが存在し、常にそれは付きまとうモノ。幼稚園児でも、その不条理というものを感じることが出来るはず。少なくとも自分の記憶を辿れば、幼稚園時代に、不条理を感じたことは何度もあった。

 その不条理というのは、トラウマにもなる可能性はあるけど、時にはその劣等感がバネになる場合だってよくある。というか、そーゆー経験は、もうこの時期から始まっている。それを大人が、甘やかして、現実と離れて無いことにしようという考えが歪んでいる。

 「学芸会」「運動会」は、花形イベントではあるが、それは毎年あることだ。年少、年中、年長。さらに小学1~6年まで、中学はさすがに多くの親はでしゃばらないだろうから除外しても、9年間あるわけで、その中で、いい役が一回あればいいじゃないか。

 そのときの優劣が、必ずしも後の優劣ではない。特に幼稚園のときなんて、生まれた時期によっても成長度が違っているのだから仕方ない面だってある。逆転はいつでも起りうるし、子供だって、去年の屈辱を晴らすべく努力する可能性だってある。また、逆にその全てがダメだったとしても、それが自分には向いていないのだと諦めも付く。

「3年前はペンギンでした。」

 とんねるずがまだ売れ初めのころ、新春かくし芸大会でやったのが、ペンギンの着ぐるみを着せられ、台詞もほとんどないチョイ役でした。そして、見事ブレイクした後に言った有名な言葉です。

 「ペンギン」の屈辱が、その後のバネになったかどうかは微妙ではありますが、「ペンギン」があったからこそ、そう語れるのです。成長の過程を得ることがいかに必要であるか示していると思います。

 幼稚園でみんなと同じ「桃太郎」の主役になっても、それでは、成長することはできません。最初から主役をしたら、それ以上はもう無いし、後は堕ちるか保つしかありません。それを、自分の意思ではなく、別の意思で最初に決められてしまうのです。そんな不幸はありませんよ。

「なんで、あの子が桃太郎で、私が鬼Cなのさ」

 その屈辱と不条理は一生心に刻まれ、「いつか桃太郎になってやる」を違った形で目指すことが出来るのです。それこそが一番大切なんじゃないでしょうかね。

トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁ

2006年12月14日 | ブログの話
  ner さんの『ner式:キミはてな、ぼくgoo、みたいな帰属意識』の記事は、2006年08月24日の日付になっている。これは、『『斬(ざん)』:サービス提供元の別のサービスを必ずしも利用する必要はない』(2006年08月11日)にトラックバックをいただいた記事なんだけど、最近になって、はてブで注目されました。
参照:はてなブックマーク - ner式:キミはてな、ぼくgoo、みたいな帰属意識

 1get されたのが、愛・蔵太さんなので、その影響力も手伝って、注目されるのは分かるのですが、なぜに、オレの記事にトラックバックが入った時点で、盛り上がらないんだろうかと。ちょっと自分自身として情けなくもある。それと同時に、トラックバックの記事って、やっぱりあまり読まれていないのかなぁってのも、思いました。

 そうしてみると、まだまだ掘り出し物のお宝記事が埋もれている可能性も高いですね。ただ、これを裏返して考えてみると面白いことに気が付いた。結構一時期盛り上がった記事で、その数週間後くらいになり、話題が通り過ぎてから入ったトラックバック記事ってのも、案外お宝が埋まっている可能性が高いかも。

脳内で蓄積されていく記事リンクを増やすことが大事

2006年12月12日 | ブログの文章・書き方を考える
 Web を巡回していると、既視感(デジャヴ)に会うときがある。
「あ、これ前にも同じような記事を読んだことあるな。」
 って思うことがあって、過去のその記事を読みたくなって、自分のデータベースから探し漁ることもしばしば。

 だいたい、そーゆー時は、何か書きたくなるような場合が多くて、探し出した記事を見つけては、その差異やさらに思いついたことについて、あれこれ考えを巡らせている。そうしていると脳内である程度まで書きたい内容が出来上がってきます。

 ブログをしていて、さらに Web にある話題や記事について言及記事を書くタイプの場合は、自然にその習慣が出来上がってくるのでしょうね。ソーシャルブックマークサービス( SBS )が持てはやされているのも、そこに蓄積された記事が、いずれ自分の記事のネタ元や断片の一部に取り入れられる可能性が高いから、皆ブックマークにいそしんでいる、ということもあるのではないかと思います。

 ブックマークしたモノは、あくまで備忘的な役割で、多くのインプットの中から、何かの拍子にネタが思い浮かぶ。その時、脳内には、あの記事とあの記事とあの記事辺りが参考になりそうだ、またはネタの補完に役立ちそうだ、と思ったりして、その記事を探して再読する。その結果、出来上がった記事が、ある程度の濃さをもって完成する場合も多いでしょう。

 つまり、その「あの記事とあの記事とあの記事辺り」が、いくつ思い浮かぶか、というのが、今から書こうとする記事の密度に関連してくるのです。それは脳内で蓄積された、データベースによる記事リンクがどれだけ出来上がっているかということなのです。後は、それらを記事内に取り入れ、ときにはホントにリンクさせればいい。

 そこには、やはり良いインプットをどれだけするかというのも重要であり、それがアウトプットの内容をより良くする結果の基礎になる。また、SBM などでブックマークするという意識的な習慣が、脳内でのリンクを作りやすくする手助けになっているともいえます。思い浮かんだ記事の内容がぼやけていても、ブックマークしたということを覚えていれば、その引き出しから、また引っ張り出して読めば、ぼやけた内容もはっきりとなります。

 そう、つまり記事を書く場合において、2つ以上のユニットを組み合わせるというのが、記事を面白くする要素の一つなのです。今読んでいるこの記事もそうなのですが、『Welcome To Madchester』に、このような内容の記事があります。
え~と、まず、自分の書きたい事を考えます。

例えば、「空が青い」とか「○○が面白い」とか。これを便宜上Aユニットと呼びます。

で、私の場合、その次にどう書くかについて考えます。

これは、別のAユニットでもあるし、ブログの形式でもあるし、あるテンプレートでもあるし、時事ネタでもあります。これをBユニットとします。

自分の場合は文章の修辞法とか改行とかはあんまりこだわりませんので(←だからお前は文章が下手なんだって言わないでね!)。このAユニットとBユニットの組み合わせ方でエントリの内容は8割がた決まります。で、この組み合わせ方って多分経験を積めば積むほど、ようするにブログ書けば書くほど、すんなり出るし面白い組み合わせを考え付くのではないかと。
Welcome To Madchester:■[幻想]書きたいように書けない人の(気持ち悪い)叫び

 今読んでいるこの記事の、A ユニットにあたるのが「脳内の記事リンク」についてです。そして、B ユニットにあたるのが、引用した「文章における内容の組み合わせによる記事の書き方」です。この二つが、今回の記事のキモなのです。

それで、この記事のまとめとして

 脳内で蓄積されていく記事リンクをいかにして多く作り上げていくか。それがイイ記事の出来上がる大事な要素の一つであるといえるのです。

となるのです。

[TB:Welcome To Madchester:■[幻想]書きたいように書けない人の(気持ち悪い)叫び]

クリリリリン

2006年12月10日 | ネタ
ekken♂ : NGワード・クリリンのことかーッ!

に書いてあるような、ある記事を読んでそこに書かれてる内容にあまりにも似ている状況に出くわす時があります。具体的ではなくても、自分に当てはまったり、想像する範囲内でどこのことについて書いているのか察しが付くというか、想像できてしまう状況。ブログをしていて巡回もしていたりすると、そーゆー経験をすることが多いです。ただ
 目的が「誰かを馬鹿にする」ことではないから、あえてぼかして記述しているにもかかわらず、わざわざ「それは○○さんのことでしょーッ!」「クリリンの事かーッ!!」「オレの事かーッッッ!!!」と何故か「!」付きで特定しちゃう人もいるのですねっ!!

 書き手が気を遣って曖昧にしている事なのに、それを「誰々の事」と特定するコメントをするのは、その記事を結果的にバカ晒しに変えてしまうことです。
ekken♂ : NGワード・クリリンのことかーッ!
 と書かれていますので、これだと誰かを想定しているように見えます。なので少し冒頭で書いた状況とは異なります。

 「クリリンのことかーッ!」というのは、曖昧な相手を特定してしまう行為の場合といえますからね。つまり、元々相手がいて、それが分かってしまう状況になります。これは、元ネタのドラゴンボールでも同じです。フリーザはクリリンのことを指して「あの地球人のように」とぼかして嫌味で言ったのに対して、悟空がそれに切れて「クリリンのことかーッ!」となるわけですからね。

 なので、自分のことでは無いだろうケド、自分にも当てはまり、まるで自分がその記事に書かれてる当事者であるかのように思えてしまう。または、該当者ではないけれど知っている誰かに当てはまるような状況というのは、厳密には「クリリンのことかーッ!」とは異なるんじゃないかと思うのです。

 そこで、上記に書いたような、自分(または知ってる人)が当事者であるかのように思えてしまう状況が発生したときに、「クリリリリン」とチャイムが鳴ると表現したらどうかなと。まぁ、いわゆる勝手に造語です。具体的イメージとしてはニュータイプが何か感じたときに鳴る音と同じ感じだと思うと分かりやすいかと。


 使い方として
例1)
あ、これって俺のこと?
「クリリリリン」って鳴ったよ。

例2)
[クリリリリン]後でなんか書くかも

など。
はてブタグなどで、どうぞご利用ください。


[参考]
クリリンのことかとは - はてなダイアリー

[関連]
「クリリンのことかーーっ」て実際クリリンのことだよな - はてな匿名ダイアリー
[はてな用語]クリリンのことかーッ - はてな匿名ダイアリー
REVの日記 @はてな:■[web]クリリンのことかーッ! 特集

[TB:ekken♂ : NGワード・クリリンのことかーッ!]

衆愚化の解決はトッピングの自由度にある!?

2006年12月06日 | ブログの話
 衆愚だ衆愚化だのと言われて久しいはてなブックマークですが、解決策というかそのヒントみたいなことを思いついた。

 たとえ話になるんだけど、まず人気のラーメン店をイメージしてもらいたい。
 “ウマイ”と評判のラーメン屋さんには、昔ながらのツウの常連さんと、話題で訪れた一見さんが居る。で、多いのは一見さんなんだけど、ラーメン屋としては、どちらも大切なお客さん。

 そこで、何をもって、この両者間を満足させるかというと、トッピングやシステムだと思うのですよ。もちろん接客や味ってのも重要なんだけど、今回は同等の満足度と考えて対象外とします。

 イメージとしてはラーメン二郎あたりを想像してもらうと分かりやすいです。常連客ってのは、トッピングに懲りますよね。野菜マシ、にんにく多め、スープカラメなどなど、いわゆる自分好みのトッピングを選べる楽しさってのがあります。そのほかに、麺かためとか、味玉入りとかネギ多め、etc でいくらか払うとトッピングを追加できるサービスもあります。

 一見さんは、デフォルトでいくか、もしくは常連さんの頼み方を見て、それなりにチャレンジしてみたりするのも楽しいですし、次回はこれをトッピングしようなどと楽しめます。それが、再訪への足がかりにもなっていたりもするわけです。

 それで、ここから本題の衆愚化の問題なんですが、常連さんと一見さんをそれぞれブロガー兼ブックマーカーのヘビーユーザーとブックマーカーのみのライトユーザーとに分けて考えます。そうすると、はてなブックマークのトップページを常連用にトッピングできる仕様にすればいいというのが浮かび上がってくるのです。

今できるのは、せいぜい「注目(の)エントリー」の閾値をを 5Users か 3Users に分けられるくらいですが、これをさらにホッテントリでも、Newの付いた記事だけにする。とか、ブロガー兼ブックマーカーの記事のみにする(この場合は登録しないといけないけど、個々のはてブには、サイト登録ができるようになっているので、それを割り当てればいい)とかの選択肢を盛り込むともっとよくなるかも。

 今あるカテゴリ(すべて | 読書 | 音楽 | 映画 | ウェブ | コンピュータ | 動植物 | アニメ | 食 | スポーツ | ゲーム | マンガ | アイドル | 地理 | アート | サイエンス | はてな | 一般 )ってのは、(常連には)ほとんど利用されていないんじゃないかと思います(はてブニュースのほうが便利だから)。だから、それとは別の、ツウ好みトッピングを用意してみるといいのではないかと。

 たとえば、
 ・被お気に入り数の多いブックマーカー順の羅列リンクとか
 ・自分のお気に入り順の羅列リンクとか
 ・任意のブックマーカーの任意のタグのリンク集とか

 はてブのトップページにトッピングが出来るようになっているほうが、自分のブックマークでトッピングするより効果的なんじゃないかと思いますけどね。
 ただ、作った本人が、「トップページはあくまで飾りです、的な。」などと、人事のように言ってるのであまり期待は出来ませんけどね。
 何なら常連用のトップページを作って、そっちとどっちをデフォルトにして見るか選択できるようにすればまた面白いかもね。

タブブラウザのタブはいくつ開いてますか?

2006年12月04日 | 思いつき
 オレは Sleipnir を使っているんですが、他にも Firefox や Lunascape など( IE7 もか)のタブブラウザを常用している方も多いのではないかと思います。で、だいたい、タブを開いてる数ってどれくらいなんでしょうかね?

 オレの場合は、常時 30~40 あって、いわゆる「後で読む」がごそっとあって、再立ち上げ時も前回の状態を保存してあるから、同じように残ります。
 で、同じ場所を開いていたりして、たまにどこがどこやらと探し回ることもあるくらいなんですが、多くの人は、2桁もタブを開いてないんでしょうかね?

 ちょっと気になる今日この頃なんですよね。

 あなたはタブをいくつ開いてますか?

[参考]回答いただいたコメントや記事リンクがあります。
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』 タブブラウザのタブはいくつ開いてますか?

[参照]
・コメントなどでいただいた「一覧表」です。

追記(2006.12.05)
・参考にリンクを一つ追加。
追記2(2006.12.10)
・参照に「一覧表」を一つ追加。

ネガポジによって受ける同じ記事の印象に付いて考える

2006年12月02日 | ブログの文章・書き方を考える
 ある旅行に行ったとする。その旅行記を書こうとしたときに、ポジティブな話題を中心に書くか、ネガティブな話題を中心に書くか、果たしてどちらがいいのだろうか?

 おおよそ旅行というのは、少なからずハプニングが起こるものです。それ自体が非日常な出来事ですから、刺激されたり、普段では気が付かなかったことがあったりと何かと話題を生みやすい。ましてや複数人で団体行動を取った場合では、思わぬ発見や、場合によっては「伝説」を作ったり、見たりするという場面に出くわすこともよくある話です。

 では、そのハプニングや出来事をポジティブに捉えて書くのか、それともネガティブに捉えて書くのか、たぶんどちらでも書けると思うんですよ。

 たとえば、
 「○○さんが、電車の出発時刻に遅れてしまい、他の人に迷惑を掛けた」
と想定した場合でも、
 「○○さんには、遅刻癖があって今回も何かやってくれると思ってたらやはりだ!」
と相手を攻めるような文章にするか、
 「○○さんの遅刻で、出発時刻は遅れてしまったけど、結局目的地に付いた時間は予定時刻とほぼ一緒だった。乗り換えなどの余剰時間がとってあったため、余計な待ち時間が無くなって、かえって快適だった。」
など、ハプニングはハプニングと捉えるけど、ネガティブには書かない場合など。

 よく、ブログをはじめるときのマニュアルには、ポジティブな内容にするよう推奨しているけど、リアルと直結してる場合を除いて顕名の場合だったら、少しネガティブに書くくらいのほうが、共感を得られやすい。

 ポジティブな文章は、定期読者のように記事の書き手をよく知っている場合は、それでも問題は無いでしょう。しかし、一見さんや書き手のキャラクターが出来ていないとポジティブな記事(日記)で、読ませる文章を書くというのは、とても難しい。なぜなら、多くの書き手がそうやって、当たり障りの無い、起きたことをそれ程工夫もしないで記事にしているからです。

 だからといって、ネガティブすぎる誹謗中傷記事を書けとは言いませんが、要所要所にネガティブさを散りばめているほうが、記事がスパイシーになって締まります。

 人間、半分はポジティブで半分はネガティブです。ポジティブさばかりの場合は、ポジティブな人達が集まりますが、時に残った半分のネガティブさを表せなくなり、それが苦痛となってしまう場合もありえます。だから、ちょっとネガティブさを入れることで、誰しもが持ってる両面を、満足させられるのです。7:3か8:2くらいでポジティブ:ネガティブを組み合わせると、結構読んでいて面白い記事になるのではないかと思ったりします。
 まったく持って検証などしていませんので、相変わらず勘による適当さ加減ですが、まぁ、いつもの事ということで、お後がよろしいようで。