『斬(ざん)』

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時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない

2006年12月27日 | 想った事、感じた事
 たしかにブログをやっていれば、自分の記事が注目されたり、話題にされたりするのは非常に嬉しいものです。多くの人に読まれ、何かを感じてもらえたら、書き手として公開した甲斐があります。そしてさらにリアクションも頂ければ、なおさら嬉しいわけですが……

 でも、ちょっと待ってくださいよ。

 あの日あの時あの(自分の)記事が、Web でちょっとした注目を集めたけれど、その影であの日あの時同じように上げられた、幾千万(そんなにあるかわからないけど)の別の記事があるんだよね。その中には、自分の記事が見劣りするくらい、眩しくて輝いてるイイ記事が生まれている可能性だってあるはず。でも、それが決してその日その時に注目を浴びるとは限らない。ひっそりと陰に隠されて埋もれてしまっていることもあるだろう。

 そのような「消費されない記事」は、いつか日の目を見て注目を浴びて輝くことが出来るかもしれない。けれど、ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。

 果たして、それを無条件に喜んでいていいのだろうか?

 それは、本当は恥ずかしいことではないのだろうか?

 本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?

 まだ、その本当の一番を知らなければいいかもしれないけれど、知ってしまったら恥ずかしくて穴があったら入りたくなりますね、たぶん。その知る時というのが、ある日突然、何の前触れも無く訪れて、ふと気が付いてしまったとしたら、それはとてつもなく恥ずかしいと思うのです。

[関連]
『斬(ざん)』:トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁ
『斬(ざん)』:羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね

追記(2007.01.01)
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