『斬(ざん)』
移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/
 



■2007年1月アーカイブ

2006年12月← / →2007年2月

★★☆☆☆ 「コメンテーター第1号」に、特権ってあるの? 2007.01.28
★★☆☆☆ 居れば安心、居過ぎはご注意。 2007.01.23

★★☆☆☆ 不公平感のモヤモヤはどうにもならないのだろうな 2007.01.19
★★★☆☆ 記事を書く時あなたはどっち? 2007.01.14
★★★☆☆ 本音かどうかは藪の中だけどね 2007.01.09
★★★☆☆ 十円玉の価値はどうなのか? 2007.01.05
★★★☆☆ 羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね 2007.01.01




[参考] オレの記事おすすめ度を5段階にしました。

★☆☆☆☆ …たまにツボにハマルかも。
★★☆☆☆ …マニアックにはウケるよ。
★★★☆☆ …おすすめ!
★★★★☆ …超おすすめ!!
★★★★★ …まずは読んで見て!!

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教えて!goo :突然来なくなったレスあれとかこれとか (Lefty) そんなもんかねぇより)
のやりとりより。ちょっと分かりやすく質問の内容を要約すると

 ・主人公は、ある男性のブログのコメンテーターで女性
 ・質問主は、主人公の友人(女性)
 ・主人公は、男性が運営しているブログのコメンテーター第1号
 ・全体の半分くらいの記事にコメントをしていた
 ・コメントをすれば必ずレスが返ってきた
 ・男性ブロガーは凄く忙しい人
 ・先日久々に記事が更新されたので彼女はコメントを書く
 ・今日で3日経つのに、レスがない。
 ・その3日間でブログ内に新しい記事のアップがある
 ・その記事に別人のつけたコメントにはすぐにレスがつく
 ・私は嫌われたのか?もうコメントしない方がいいのか?と主人公が悩む

といった、経緯での質問なんですが、ややこしいコメンテーターを持ったもんだというのが最初に感じたこと。重いことこの上ない。これじゃー、ブロガーに負担を強いている。まぁ、気持ちはわからなくも無いけれども。
 
 確かに、この断片の流れだけでは読みきれない部分もあるのですが、

 まず「コメンテーター第1号」に、なんか特権ってあるの?

 もちろんまったく無いとも言い切れないだろうケド、それはコメンテーター側が持つことではなくって、ブロガー側が持つものでは無いでしょうかね?

 思ったのは、最初は丁寧にレスつけてたけど、レス必須じゃないからそろそろ方向転換しようって男性ブロガーがスタンスを変えただけじゃないのかなぁ。もしくは、それで更新が滞るのがいやだったか。忙しいし、レスできるモノだけにしようというね。

 で、この質問のやりとりの中で
ただ彼女としては、ブログ主である彼が忙しくて彼女にレスができないのは理解できるが、現に彼女のコメントの後に新しい記事がアップされている訳なので、「新しい記事を書く時間があるのなら別に忙しくないじゃない!」といったところだそうです。
 ってあるのですが、ブロガーの立場からすれば、記事書くほうがレスつけるより楽な場合が多いですよ。だって、コメントレスは、与えられたコメントに対して書くのですから、書く内容が限定されてしまう。たとえ記事に対するコメントでも、必ずしもその内容に興味がもてるとは限らないですよ。その場合、レスの負担は、記事を書く負担より大きいはずです。なんせ興味が無いのにお返事はしなければという義務感が発生しますからね。相手があるのでいい加減には出来ないというのもあるし。

 なんというか、ちと自己中心的かと。困った常連さんですね。他の読者も彼の新しい記事を待ってるかもしれないのですから、読者を中心に置けば、ひとりのコメンテーターのレスより新しい記事を優先するでしょう。確かに今まではレスを毎回もらえたけど、いきなりもらえなくなったからショックな気持ちはわかりますけどね。ただ、彼女に対する特権をやめたってことなんではないかと。

 それより、今まで負担を強いていた可能性を考慮して、「レスしなくてもいいです。気にしないでください。」とコメンテーターから言えるくらいの気持ちでなければね。

 もし、そのブロガーがコメントレスが負担になってブログやめちゃったら、元も子もないでしょうに。場が無くなったら、コメントも出来ないし、コミュニケーションも取れないくなるわけでして、もう少しコメンテーターの立場みたいなものを考えてみて欲しいかなと。

 ブログやってみれば、コメントレスが、思った以上に難しいかよく分かりますよ。だから、オレはコメント苦手なんですよね。相手の負担を考えたうえでコメント書くってのが、難しいから。でも、記事についたコメントに時間をかけてレスするのは、負担は大きいけど、実りも大きい場合もあるのでね。特に参考になったり、補足されたり、気付きを得られる場合も多いで、それは貴重でたいへんありがたいですけれど。

 と、こーゆーことを書くと、このブログのコメント欄の敷居が高くなるんだよね。ただ、オレはコメントには極力レスするけど、必須とは考えてないので、お気楽にどうぞなんですけどね。

[関連]
『斬(ざん)』:コメントレスを強要するのはやめようよ
『斬(ざん)』:一行でもコメントのレス強要はよくないと思います


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 お知り合いやお気に入りのブロガーやブックマーカーが、オンライン上にいるのを見ると、何となく嬉しいというか安心する。

 しかし、それとは別に、あまりにその時間が長い(朝見て、夕方見るとまだ居るのが分かるなど)と、暇人なのねって思うときもある。

 その塩梅が、非常に微妙である。

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CONCORDE: my turn, your turn - 不平等でミスマッチで運任せの世界で
 
 『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれないにトラックバック頂いた記事についてお返事をかねて思ったことなどを書いてみる。

ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。


(中略)

 本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?
『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない

この弱肉強食の世界でそのやさしさは、自殺行為に等しいかもしれなかったり……
CONCORDE: my turn, your turn - 不平等でミスマッチで運任せの世界で
※引用内の引用文には、分かりやすいよう引用者がリンク先を加えています。


 Web(ネット)のフラット性というのを、幻想で信じている部分があるからなのでしょうね。同じ立ち位置で、「よーい、ドン」が本来はいいんだけどなぁーって思いがあるのです。しかし現実は無理な話ではあるんでしょうね。オレはバーチャルの良い面を考えたいのでそう思ってしまうのです。

やはりリアルで活躍されている方ってのは、スタート地点で既にひな壇がありますからね。

 個人的には、前に前にってのは好きではない部類なので、そうしなくてもシステムでどうにかならないかなぁーってことを思うんですけどね。人が造るシステムである限り無理なことなのかもしれませんね。
同じ時期に(またはちょっと前に)こっちも似たようなこと書いてるやん、なのにあっちだけ注目されてなんでやねん、という方向の、自己評価と結果のミスマッチ。
 これは経験がある(思い込みが強いこともあるとは思いますが)のですが、やはり、ひな壇があるような目立ってるブロガー(サイト主)のほうが、取り上げられやすいですね。これもオレの嫌ってるフラット性の不公平性でもあり、しがらみやより有名なトコから話題にするほうが、自分にとっても有利だと感じる(または単にオレが嫌いなだけかもしれないが)ので、取り上げたいんでしょうね。

 オレの考えだと、それよりも記事の良さ、はじめに話題を作った貢献度を重視して、たとえ無名でも、そちらを取り上げるのが筋だと考えるんですけどね。ただ、有名なトコを取り上げたほうが、話題がより発展する可能性があるのは否定できない面でもありますね。でもそれは最初に話題を提供したモノにとっては、オイシイところを持っていかれた感があって、非常にむなしく感じますね。
 
 また、裏返して考えればオレ自身が逆の立場になることもありうるわけで、それはやはりちょっと申し訳ないですね。だから、公平であって欲しいわけですが・・・・・・ って、これだと話がループしちゃいますね。
souryuusei0401さん(えっと、数字つけた方がいいのでしたっけ)は運ではないと仰いますが、自分の番が来るかどうかというのは運でしかないと思います。
 運も実力のうちというのは、あるとは思いますが、そーゆーことが Web (ネット)では、関係ない世界であって欲しいのですよ。現実では、経験し得ないことが、バーチャルの最大の良さだと思っていますのでね。段々、リアルに侵食されてつまらなくなってきてるように感じますね。
その巡回先に入るか否かイコール(入る時点での)運、ではないでしょうか。
 これは、ちょっと違うかな。個人ニュースサイターやアルファクリッパには、自分から近づいていけば、巡回先に入る可能性は高いと思われます。もちろん、ある程度話題になるかもしれないような予感のする記事を書いていることが前提でしょうけど。そーゆー意味では、運より実行力ではないかと思います。
「自分の番」が来る前に寿命が尽きてしまうブログのほうがきっと多い
 以前確率の問題の話(マーフィーだったか?)で、全ての人は、幸不幸が平等ではなく、偏っているというのを聞いたことがありますね。運のいい人は、やっぱり運がいい。運の悪い人はとことん悪い。1万年でみれば、平等かもしれないだろうけど、人生で考えれば偏るだろうってのと同じ考えですね。ここらの話は、深すぎて「自分の番」をどう手繰り寄せるかは何ともいえないですね。
瞬間風速の後で何をしてあげることができるのでしょう?
 何もすることは出来ないでしょうね。
「自分の番が来た」ことを素直に喜べばいいのではないですか、
ほかにできることなどないのだから。
 さっき書いたようにそれが公平ならば「自分の番」を素直に喜べるのですが、どうも色々と運にしろスタートライン(ひな壇)にしろ、いやーな要因があるので、素直に喜べないんですよね。かといって、それがどうなる訳でもないのですが。このモヤモヤ感は、どうにもならないのだろうな。

 はてな匿名ダイアリーが、盛り上がっていて需要があるのも、そういったこともあるのではないかと思いますね。


[関連]
『斬(ざん)』:ズルイや!
おれはおまえのパパじゃない - 仰げば尊し


[TB:CONCORDE: my turn, your turn - 不平等でミスマッチで運任せの世界で]

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 ・ネタ記事が、頭の中で出来上がってて、記事が既に完結してる。
 ・ネタ記事の元(テーマ)があって、未完な状態で書いていく。

 前者は、既に構成から展開やオチといった記事のストーリーが固まっていて、記事としての完成度が高い場合。

 後者は、気になることや感じることがあるのだけれど、まだ書きたいことや、言いたいことがはっきりしていない状態。それで、とりあえず書き進めていくうちに何かが見えてきたり、整理できたりして、なんらかのオチまで辿り着いた場合。

 オレの場合は、断然後者なわけです。自称“迷走系”ブロガーなので、ちょっと気になったこととか違和感みたいなことを記事にして書いていきます。そして、考えが途中までだったとしても、ある程度できりをつけてアップしてしまいます。それは、他者の意見などにより補足されて発想が広かったり、新たな考察が得られたり、と、記事の完成度は高くないかもしれませんが、記事を上げたあとに期待できるからです。そのようなちょっと中途半端ではありますが、それなりに自分ではいいブログの使い方をしてると思っています。改めていつも素晴らしいコメント、TBをいただいた方々には、多くの刺激や思考の楽しみをいただきありがたく思います。

 話が逸れましたね。

 それで、オレの場合をさらに書いていくと、いつも記事を書く時、テーマとなるものがある。

 今回のこの記事の場合なら「記事を書く時、他の人はどんなプロセスで書いていくのだろうか?」といったことが、ふと気になったのが切っ掛けです。

 そして、それから頭の中で、妄想がはじまりこのテーマでどのような展開にもっていくかを勝手気ままに描いていきます。

 そして、自分が“あるテーマから未完な状態で書いていく”に対して“あるテーマから既に完成された記事を書いている”場合もあるのでは?と考えたのが、この記事なわけです。

 そこから、自分の記事を書くプロセスを書いて、他の人がどのような記事の書き方をするか知りたい、という感じにするといいのでは?って、ことでタイトルが

「記事を書く時あなたはどっち?」

に決まりました(もちろん「どっちでもない」ってのもアリなんですけどね)。

 あなたからの記事の書き方についてのコメントをお待ちいたしております。よろしく。
(後者で記事を書いているのでこんなオチになります。)


[参考]
observation: 考えるために書いた文章と考えた結果を書いた文章


[関連]
『斬(ざん)』:このブログの存在価値を考えさせられた

(蛇足)
 ちなみにこれは、以前から思っていることで、『暫く(ネット)サーファーやね』のなかで書いた
記事を書いた時と推敲して記事アップする時のテンションの違いをどう上手く調和(同期?)させることができるかって話。
にも一部繋がっています。

追記(2007.01.17)
[関連追加]・言及いただいたリンク先(捕そくできた範囲)を追加。
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』 記事を書く時あなたはどっち?
白い戯言 - 私的ニュースその1
kmizusawaの日記 - 考えてから書くか、書きながら考えるか
tukinohaの絶対ブログ領域 - ワープロ時代の文章法
北の大地から送る物欲日記 - ブログ記事を書く流れ
Co・Memont: 記事[2007-01-15]
やくろあんてな 1月15日のニュース
しっぽのブログ: 記事を書く時あなたはどっち?
まなめはうす
明日は明日の風が吹く - 記事を書く時あなたはどっち? - 『斬(ざん)』
smallball - 二千六年一月十六日
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 他人の書く姿勢は気にしたことがない
やっぱり本が好き:■[日記] 書くことは漠然と決めています
Transparency
マンガ☆ライフ | 今日のニュースと「次に期待!」
儚雪の空:Diary 過去ログ(2007年1月11日~2007年1月20日)
Californian Kids 記事を書く時あなたはどっち?を考えてみた

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歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい

 オレは、傲慢でもいいから「負けた」と思えないなら、そのほうがいいですよ。でもね、これは仕方ないんだ。思ってしまうんだもの。制御したり訓練したりして変えることができることじゃないと思うんですよ。仰るとおり性格の問題。
氏にとっては羞恥プレイをする事で己を客観視して記事に活かしていくタイプなのだろう。だが、私は羞恥プレイではなく、どちらかというと、俺様主義で傲慢な見方で記事を書いていく事によって、人々の本音を引き出していきたいと思っているようだ。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい
 この部分を読んでいて、ふと思い出したのが、梅田さんの記事、『My Life Between Silicon Valley and Japan - Blog論2005年バージョン(2)』の中にある
モノを書くことは恥をかくことである。恥をかきたくなければ何も発表せず、読むだけ読んで人のことを「バカだなぁ」とうそぶいていればいい。
My Life Between Silicon Valley and Japan - Blog論2005年バージョン(2)
でした。そうなんだよね。だって、Web で文章を書くって事は、自分よりも専門知識やより深い考察を出来る数多の人々にも読まれる可能性があるということだからね。そして、現実にそういった方々にも読まれているんじゃないかと思います。自分なんか足元にも及ばないような人にもね。そーゆー人が読むだけで書き込んだりしなかったとしても、バカにしてたり、まだまだだな、って思われたりしてるのは、容易に想像できることですよね。でも、それが分かってても書くってことは、やはり恥をかくことなんですよね。でも、その恥をかくことよりも、そこから得られることのほうが自分にとって価値があるから、続けられるんだと思います。

 そして、その恥を少しだけ和らげるために、本音とうそを上手く織り交ぜて、時に記事に脚色して、ちょっとデフォルメさせて作るようにしていますよ。だから、どこまでが本音で、どこまでが脚色かは、書いた俺にしかわからないから読んだ人の判断に任せるところです。そういった仕掛けを作ることが出来るのも、書き手としてのささやかな楽しみの1つですね。


[関連]
『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない
『斬(ざん)』 羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね


[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい]

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側近「総理!大変です。」
総理「なんだね?」
側近「わが国の十円玉が無くなります!」
総理「何を訳の分からない事を言ってるんだ」
側近「は、失礼しました。端的に申し上げますと、銅の価格高騰により十円玉が銅に戻されているのです。」
総理「なんだと!それは一体どういうことなんだ!」


……


 十円硬貨は、銅 95% 、亜鉛 4% - 3% 、 スズ 1% - 2% から出来ている。量目が 4.5g であるから、単純計算で、銅が 4g 入っていることになる。

 そして、上記の会話の内容は、銅の価格が、3000円/kg(3円/g) と高騰した時に起きた。つまり、十円硬貨の価値が、銅の含有量によって十円以上の価値になった(3x4=12)ことから、十円硬貨を銅に戻して、その差益分を儲けようとした輩が現れたのだ。ホームレスあたりを人海戦術で集め、自販機やらコンビニやら、ありとあらゆるところから十円硬貨に両替し、片っ端から集めて、溶かして売ってしまうというトンでもな状況が各所で勃発したからである。

 もちろん、これは貨幣損傷等取締法違反による、犯罪行為である。だから、それはひっそりと慎重に進められた。既に裏社会でシンジケートが出来上がっていて、中国他アジア各国に密輸ルートまで出来ている。

 政府は早急に、貴金属廃品業者を調査し、徹底的に調査するも、既に対策されていてイタチゴッコ状態。十円硬貨は、見る見るうちに減っていく。ついに政府は、新十円硬貨を別の素材で作る検討に入った。

 さらに、このまま銅の高騰が続けば、今度は五円硬貨もその標的となることから新五円硬貨も検討に入れることになった。

 各所で、電線泥棒が跋扈し、電動機モーターや変電機(トランス)もその標的となった。泥棒の中には危険を冒して感電し、死者も出る始末。

 国として、早急な対策を迫られている。



 もちろん、これは笑い話のようなフィクションであり、現実的ではありません。しかし、あながちありえない問題でもありません。それは、以下の参考記事をご覧ください。既に日本にも電線泥棒が出始めている状態であり、アメリカでは感電死者が出ていて、イギリスでは、現実問題です。

[参考]
きょうのニュース 北國新聞社:送電線盗まれる被害続発 内灘、金沢、かほくで昨春から9件 電柱に登り工具で切断
金属高騰、米に思わぬ余波…1セント硬貨、謎の発行増 : ニュース : ジョブサーチ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
原料高騰で銅線の窃盗が増加、感電死のケースも。 Narinari.com
銅高騰で英造幣局が異例の警告、「硬貨を溶かすな」。 Narinari.com

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歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い

 『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれないに言及いただいたのですが、言及返しというか、想った事をあれこれと。

運が良い事も込みでその記事は注目されるに値するものなのだという考え方が私は好きだ。もっと自分の書いた物に対して堂々として欲しいものだな。自分が書いた物には恥ずかしい物は無いと言い切る誇りを私は持ちたい。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い
 うーん、オレはそれを運とは思えないんだよね。確かに運が作用する場合も否定はしないけどさ。どちらかというと、ポジションとか立ち居地みたいなものが左右されるでしょ。大手(中堅)個人ニュースサイターやアルファクリッパーなんて呼ばれてる人達の巡回先に居るか居ないかでも変わってくるわけで…… で、そういったところから普段注目されないところでも、淡々と良質な記事を書き上げていて、それにふと何かの偶然で巡り合ってしまった時ってのを想像したわけですよ、あの記事は。

 その時に、自分の書いた記事に自信と誇りを持っていたとしても、出会った記事には、直感で「負けた」って感じてしまった場合ってのを想定したわけですよ。

 自分の書いたモノに堂々としたいってのはあるんだけど、毎回毎回、そんな記事は書けないですよ。精々2、3ヶ月に1つだな、オレの場合は。それは目次で、自己評価つけてるところからも分かるように、自分が本当に満足する五つ星なんて、年に何回も無いんですよね。また、それが、世間での評価とは必ずしも一致しないし。それと「自分が書いた物には恥ずかしい物は無いと言い切る誇りを私は持ちたい。」ってのは、賛成。誇りとまではいかなくても、そういった気持ちではいたいですね。

 で、話が前後するんだけど、自信を持った記事が、Web でも受け入れられて注目されたときに、もし上記で書いたような「負けた」と感じる記事に出会ってしまったらってのを考えたんですよ。これは、他者評価ではなくって自己評価での視点。つまり、自分が閲覧者視点で観て、自分の記事と読み比べた場合にという意味においてです。

 閲覧者視点では、こっちの記事のがもっと取り上げられて注目されてしかるべきでは無いだろうか?って思ってしまう場合もあるんじゃないかと。そうすると、記事にも書いたように、恥ずかしいと感じないだろうかって話なんです。自負があるからこそ、そこに生まれる羞恥。

性格だから仕方ない、か。それは言い訳でしかないよな。出来ればそういった恥ずかしく思う気持ちを何とか無くしたいと思わないものなのだろうか。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い
 ただ、オレはこの羞恥の感覚っては、変えたいとは思わないんですよね。むしろ個性であり、いい面もある(総合的には悪い面のほうが多いんだけどね)。言及された記事がこうして言及されるのも、それゆえの理由な訳でして。つまり、ブログにおいては、オレにとって必要な感性なんですよね。そして、あの記事では嫌だとは書いて無いわけで、オレの記事を読んでみてそう思う人は居ないのかな?って問いなんですよね。

 だから、この性格を直すよりも、この性格を言葉は悪いけど利用するというか、上手に付き合っていく方法を会得すべく努力するって方向に行きたいですね。それには、ブログでこうして書くってのもその一部なんですよね。


[参考]
デジモノに埋もれる日々: 情報をめぐるポジティブ・ループ - 関係と信頼という名の財産

[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い]

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